2007年4月23日月曜日

NZで銀行口座

海外渡航組にとって銀行口座を開くのは、入国して最初にすることのひとつです。
私は訪問者ビザなので口座を持てるか心配だったのですが、無事に開くことができました。

必要な書類は

パスポート
住所
電話番号

です。後は滞在期間何をするとか聞かれます。
全て英語ですが、日本人ということもあってやさしく説明してくれます。
ワーキングホリデーが多いからですね。
心配なら、何か思いつくもの(クレジットカードとか)を持っていくといいでしょう。

たいしたものは必要ありませんでした。
口座にもいろんな種類があって、私は普通の口座(毎月NZD5で引出し手数料が無料になる口座、他には毎月払う必要が無いがNZD0.6使うたびにかかる口座がある)と、NZD2000以上入っていると金利が7.15%になる口座を二つあけました。この金利の高い口座は、インターネット・電話・携帯電話(携帯の場合は毎月NZD2/月必要)で送金とか口座間送金の指示ができる口座です。またこのインターネットバンキングでは他行にも送金指示が出せますし、日本にも送金指示が出せます。

以上、メモ書き。

2007年4月21日土曜日

wifiと携帯と

非常にわかりにくくなっていまして、日本にe-mailを携帯で送り、家ではwifiでブラウジングを楽しみたいと思っているのですが、何が一番お得なのかよくわかりません。
日本では、携帯からe-mailが非常に安く、かつ簡単に送れますが、モバイルプラン(ISP契約見たいなもの)に入っていないとnz$0.35(nz$1=¥90として32円位)と劇的に高額なのです(テレコムのxtra mobile[http://xtra.co.nz/mobile/0,,10394,00.html]による)。
それだけなら理解に簡単なのですが、わかりにくくさせているのはダウンロード制限です。たとえモバイルプランに入ったとしても先にも述べましたようにダウンロード制限がかかってまして、使用量に応じたプランを自分で選択しなければなりません。またその制限を越えるとMBあたりいくらか追い銭しないといけません。
ただ、私もまだ理解の途中なので何かしら間違いがあると思いますが、それがどこでどう違うのかもわからない状態なので、一応現状理解のままに書かざるを得ないのが難点です。

それとアクセスポイントですが、ダウンタウンならスターバックス、マクドナルドには必ずテレコムのアクセスポイントがありますので、テレコムで契約している人は自由に使えます。
また家に電話を引いている場合、ISP契約をテレコムと結べば家でも街中でもお得にadslとwifiを使えます。

私は今いるところを30日には出ないといけないので、それまでは自由にwifiを楽しめますが、それ以降はテレコムかヴォーダフォンでisp契約を結ばなくてはなりません。そうなった場合、街中でe-mailできる機種を購入し、それから電話会社で携帯契約を結んで、かつそこでISP契約を結ぶことになります。PCカードはバッファローのを日本から持ってきているので購入する必要はありません。
私は街中でskypeを使いたいと思っていましたので、スペック上携帯電話よりPDAかPALMを買わなくてはなりませんが、一台NZ$1000前後であるのと、ブラウジングはノートでしたいので、それらの機種ではオーバースペックになってしまい購入が難しくなります。

日本からsonyのmyloかe-mobileの機種(¥95000のやつ)、もしくはPCカードスロットの付いたPDAを持ち込んでこちらで契約するのもいいと思いますが、契約自体ができるかどうかは不明です。しかし、PCカードスロットの付いたPDAならNZに持ち込んでから、テレコムかヴォーダフォンでPCカード購入と同時にISP契約を結べば多分可能だと思います。

結局SKYPEをあきらめてE-MAIL可能な携帯を購入し、ブラウジング可能なISP契約を結んで、スターバックスかどこかの(これから住むアパートの近くにあればそこの)アクセスポイントでブラウジングを楽しむしかなさそうです。


SKYPEはノートブックで楽しむことにしましょうかね。

2007年4月13日金曜日

日本の金融を理解するために

私は、現状の貨幣経済に危機は持っていますが、だからといってどうしようもないわけでして、今は為替相場とか商品相場を用いてでしか貨幣経済の行く末を見守るしかないわけであります。
本来であれば、日銀券のようなものは実態のある金や銀に裏づけされた紙幣でなければいけないと思ってまして、しかし、現状では不換紙幣といって何も裏づけのない紙幣によって成り立っているわけであります。あるといえば日本政府の債務が裏づけともいえるのでしょうが、これはつまり借金によって成り立っていて、「国民から徴収した税金で債務を返済します」ということで日銀が日銀券を発行している。
銀行にお金を預けますが、これはある一定割合しか預金引き出しを求めないという前提に立って、預かったお金はある割合を残してすべて貸し出にまわすのです。その割合を10%とか決めてしまえば、銀行には全預金額の10%しか金庫にはありません。残りの90%は貸し出しに使い、そこから金利を取るのです。もちろん、貸し出したお金は相手に作らせた口座に振り込むことになるわけで、貸し出した金が、銀行に振り込まれ、そしてそのうちの90%をまた貸し出しに使い、そして口座に振り込んで…というように繰り返すことで、どんどんお金が作られていくというわけです。
借り手がいないと、また、お金を使わず皆が貯金し続けると銀行は立ち行かなくなるわけがわかりますね。ひとたび、このサイクルが回りだせばすぐに銀行は利益を出せるのです。今の銀行がそれを実証してくれました。
つまり、預けると9倍のお金が発生し、それらから取る金利によって銀行の収益の増減につながるということです。紙幣・貨幣に貴金属による裏づけがあれば、そこまで膨らむことはないと思いますが、交換比率や含有率を変えてしまえば同じようなことになるとおもいます。「悪貨は良貨を駆逐する」というのはこういうことです

実はお金の実態は貴金属なのですが、そういった世の中になることはよほどのことがない限り無理でしょう。また、そうなれば経済はいったん縮小しますが、立ち直りも早く、実態に合った経済になると思います。
今は実態以上のお金が氾濫しているので、インフレ・デフレになるとその相場の上下動が激しいと予測されます。


参考図書
「マネーを生み出す怪物」



以下でもこの本が紹介されています。
http://asyura2.com/0510/idletalk15/msg/504.html
http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200511040000/

2007年4月10日火曜日

為替は何を表すか?

今の為替、相当な円安でありましてこれが何を意味しているのか、その「存在と解釈」を「系譜学的考察」を使って考えていかねばなりません。ユーロ、オセアニア通貨の上昇と米ドルの上昇、スピードがまったく違う。言い換えれば円と米ドルは同じように売られているといえます。そう、ある意味ペッグされているのです。
何が、そうさせるのか?イラン情勢が気になりますし、今日のG7もユーロ最高値圏で行われ、なにやら怪しい雰囲気ですね。しかもワシントンで行われる。また中国から首相が来日し安部首相と会談を持ったのも気になります。タイミングがよすぎですね。
また、アル・ゴアの地球温暖化も引っかかる。あれ以来もてはやされてもいない。地球温暖化という言葉の反応でも見に来たような感じだ。あれほど京都議定書に反発していた米国なのに世界を回ったようだ。元副大統領が私的に回れるわけがない。しかも日本で番組にも出ている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%82%A2

そもそも、二酸化炭素が増えているのと温度が上がっているのと関連性があるのかどうかという問題もある。
たかだか人間の排出した二酸化炭素だけがそれほどの膨大な影響を与えるのだろうか?
それよりも太陽の活動の方がよっぽど地球に甚大な影響を与えるとおもうのですけれどね。
第一、二酸化炭素云々言うなら真っ先に戦争などやめるべきでしょうし、石油なんて採掘したらだめでしょう。そういうことはせず、世界を突然回るわけです。地球温暖化という外面をつけてね。 

つまり、地球温暖化を隠れ蓑に、世界の人々に怪しまれず何かしらの特命を受けて世界を回ったのだろう。
もしくはアル・ゴア本人も視線をそらす役目で(彼は温暖化問題に関心があるようだから打って付けな人選)、付き人たちがその役目を負ったいたかもしれませんね。
それとも、おきるかもしれないイラン戦争について何か行ったのかも知れません。

まあ、妄想です。

2007年4月2日月曜日

敷衍の罠さえ見抜けませんか?

テレビをつければ敷衍ばかり。

同じことを違う内容で説明しているだけのくだらない番組。

同じ意味を違う言葉で繰り返すことを敷衍という。

そんなのばかりじゃねーか。

中身がまったく同じで、外面だけは変えてあるという、一種の成りすまし。

つまり「だまし」。

実際、どれほどの人が見抜いているのか。

見抜けなければ、ただ何が起こっているのかも理解できずに終わるだけだろう。

単なるレベルの低い罠に過ぎない。

自分で関連性を番組から抽出し、項目ごとに当てはめていくと、ものすごい番組数なのに、項目は少ないことに気づくだろう。

グルメとイベントとセックスと…後何がある?

パンとサーカスとはよく言ったものだ。

ほとんどの方は「敷衍」という言葉さえ忘れて(皮肉)しまっているのではないだろうか。

2007年3月23日金曜日

存在と解釈と(「これ」と「それ」との板ばさみ)

石は石であって、石ではない。

これは、存在しているものにある特定の意味づけや関連付けを行っているということである。

うまれてから、脳に「そのように関連付けよ」と親や周囲の人々から無理やりに教え込まれた結果であるともいえる。

もし、教えることをしなければ、たとえ脳にその能力があるといえども、石を石とは理解しないのではないか?
いや、物体を五感で感じ取る能力は教育とは関係なく備わっているのだから、石の質感は五感を通して理解はしているはずである。

とすると、五感で感じ取れる存在と解釈、教える(教育する)ことによる存在と解釈とはまったく別物ではないのか?

たとえば、「注連縄」である。

これをどのように解釈するのかはそれを見た側によるので、神道の教育を受けたものと、受けていないものの解釈の違いは相当な違いになる。

そもそも「乾燥した植物をねじったもの」程度でしかないのに、それに何か神聖な、触れるのをためらうような感覚を感じてしまうのは、程度の差こそあれ、宗教的解釈が脳内に関連付けられているからに他ならない。

そういった五感で感じ取れる解釈と、宗教的解釈とが異様に離れていようとも、何も違和感もなくお互いを関連付け・意味づけさせてしまうのは、生まれてからの教え(教育)に他ならない。

であるからして、私が見る「石」はほかの人が見る「石」とは微妙に違ってくるはずである。
が、
義務教育により、日本人はみな同じような解釈にいたるわけだ。

もし、義務教育の中で「石」は「神の化身」であると教え込めば、すべての石は崇め奉られるわけであり、私たちの解釈などというものはいかようにも操作されえるということである。



存在は変わらぬのに、解釈は条件により変わるといえることは、いったい何を意味するのだろうか?


私は、何なのであろう?

2007年3月22日木曜日

はじめに

堅苦しい題でありますが、たいしたことはないのです。
ただ単に世の中を見て、成立過程とか背景とか行動の本質とかいろいろ考えてしまうたちなもので、そういったことを忘れずに記録しておいて将来に役立てばいいなと思っているのです。
やはり、個人的にはこの世の本質といいますか根本といいますか、そういったものがどういったものであるのか私は知りたいだけなもので、もちろん、自分の考えとかいうものは理路整然としたものになっているかといったらそうなってもいないわけで、ある部分では矛盾なりあると思うのです。しかし、そういったことがこのブログを通して浮き彫りになってくるだけでも自分としてはうれしいもので、自分の考えを整理するのに非常に役立つわけであります。
でも、そう簡単にスムーズに物が運ぶとは思ってもいないわけでして、最初のうちは試行錯誤の繰り返しでやっていき、そのうちにもだんだんと習慣を用いた効率化をはかり、一定のスタイルが出てくるのを待つ形になると思うのです。あまり大上段に構えても続かないとも思いますしね。
最初はスタイル化を求めて行こうと思います。