2011年10月30日日曜日

カジノと送金(マネーロンダリング)

最近カジノ合法化が再度聞こえてきたが、どんな背景があるのかは知らない。

ただ、このカジノが合法化すればこんな資金移譲が合法的に可能である。

金融業の場合、銀行間取引や各種商品の売買のよって、違法取得金が合法的利回り配当金や売買益という形で口座間の資金移動を可能とする。

また、租税回避地を利用(無税及び極端な低率税)し、資金減額を避けた移動もよく使われている。

これは、現在フィルタを全世界的に行われるようになった。

またカジノではそういった背景を受け、自主規制を課すところが出てきた。

その代表例が米国ネバダ州の独自基準の採用である。

しかし、カジノではそういった基準を合法的にかいくぐることがいとも簡単にできるのである。

それが「ゲームを介しての顧客同士による資金移譲」である。

つまりゲームに負ければ、合法的に移動したい相手に資金を移動(つまり所有権の移譲がほぼ無税で)できるのだ。

カジノであれば、顧客間のゲーム収益に対しては感知出来ない。

たまたまいる人同士が、それぞれ勝手に負けて勝手に勝っている結果としてお互いの資金量に変化がつくだけのことであるからだ。

時間軸の極端に短い取引みたいなものである。

実はもう一つ重要なことがある。

それは銀行もカジノ内に存在しているということだ。

多額の現金移動には、コストと監視がかかる。強盗にあうかもしれない。

ではどのようにカジノへ(もしくはカジノから)現金を移動するのかということである。

銀行(多くはプライベートバンクの担当員(移動銀行)だろう・・・)がなければ安全に資金移動をすることは不可能であり、合法的にカジノで利用する、もしくは合法的にカジノで得た資金を持ち出しすることについては、カジノが合法化されればなんら違法性もなく、堂々と政府に申告(本人確認が必要だが)もできるのだ。


ここでピーンと来る人は頭がいい人だ。


日本で大王製紙の会長がカジノで100億円負けたそうだが、本当にカジノでゲームするためだけにそこへ大金を送金するのかという疑問が、どうしても出てしまうのだ。

たまたまゲームして、たまたま勝ち負けして、100億円という大金がたまたまそこにいた顧客たちへ移動したといわれても、、、というわけだ。

貼り付け開始ーーーー

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111027-OYT1T00665.htm
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20111027-OYT9I00666.htm
大王製紙の井川意高(もとたか)前会長(47)による巨額借り入れ問題で、井川前会長が連結子会社から借り入れた計約106億円のうち約90億円が、海外のカジノ関連会社の口座に前会長名義で入金されていたことが27日、関係者の話でわかった。

大王製紙の特別調査委員会の調べで、このほか十数億円が米国のカジノ運営会社の口座に直接振り込まれていたことが判明しており、借入金のほぼ全額の100億円超が海外でのカジノに使われていた疑いが出てきた。

大王製紙は28日にも調査委の調査結果を公表し、近く会社法違反(特別背任)容疑で井川前会長を東京地検特捜部に告発する方針。特捜部は調査結果の分析などを経て、前会長本人から事情聴取するなど本格捜査に乗り出すとみられる。

貼り付け終了ーーーー

できすぎた茶番だと思う人もいるのかもしれない。

捜査当局はあらかたわかっているのだろう。

今後、カジノ合法化議論が活発になってくると思うが、今まで述べた視点が一番重要なのを知っておいても問題はなかろう。

2011年10月27日木曜日

幼稚性に垣間見る意図

見受けられる批判の文節の中に「人の気持ちを傷つけるな」というものがある。

言い方が乱暴だから、気持ちを考えろ

物言いが横柄

気分が悪くなることを言うな

などなど

つまりは「型」に批判の矛先が向く。

子供かよ・・・。

「ほんとの事を聞いて悲しくなりました。どうしてくれるのですか?」

そんな幼稚な話で批判してほしくはない。見ているほうも聞いているほうもイライラ・ムカムカしてくる。


これをもって本質的事柄を発する人を批判するのはどうかと思う。

人に危険を伝える、いわゆる専門家がリスクを評価する段階にあって、その物言いだとか言い方だとかのみを批判し、もってその本質的内容についても信頼性を欠くとのイメージ付けを行っているのではないかと邪推してしまう。

「型」の批判に合われたら、ちょっと考えてみよう。

2011年10月26日水曜日

武田邦彦『現代のコペルニクス』#21「白人は人間ではない(前編)」

武田邦彦『現代のコペルニクス』#21
http://www.youtube.com/watch?v=aeyreqxjcOQ

簡潔にやつらのいう正義をまとめてあります。
後編もあわせてご覧ください。

ちなみに、武田教授は天皇制(というか神道というか)を支持しています。

わたしは、全ての宗教を信じません。

ちょっと、はずれますが、短所強制法のような教育方法も支持しません(武田さんの教育方法がそうだといっているのでは無いです)。

人を思いやる・寄り添う心・共同でお互いを補完し合いながら生きてゆくという人間愛(というか心というか支えあいというか)のようなものを信じていますが、「それこそ宗教だ」といわれるのでしたらご自由に。

金玉ブログより転載(やつらの正義とは何?)

転載はじめ

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/
さて、本日は地震注意と書きましたが。幸いなことに今のところありません。
引き続きご注意下さい。

先日紹介した「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」という作文集ですが、もうひとつの日記を紹介します。
ナジェージュダさんというベラルーシのマリノフカという村に住んでいた方の日記です。
以下は地図です。
マリノフカはこの地図で言うとミンスクの近くで、実にチェルノブイリから300kmも離れているのですが、飛び地のホットスポットだったのでしょう。ナジェージュダさんは癌で死んでしまいました。(子どもだったためもあるかもしれません。ご存じのように放射能感応度は細胞分裂が盛んな子どもが高い。10歳の子どもで大人の10倍。胎児で100倍の感応度) 




チェルノブイリのセシウム汚染マップ。ミンスクは300km離れている。クリックすると大きくなります。


ちなみにこれは日本の状況との比較地図です。


その子の従兄のイーゴリ君が彼女の死後、日記を持っていてそれを紹介したものです。



イーゴリ・マローズ 第四中等学校十一年生 シュクロフ町

祖母の住むマリノフカが汚染のひどいところだということを、当時はまだ誰も知らなかった。
そこにはずっと昔から、野生のナシの木があった。いつごろからあったのか誰も知らなかったが、それは祖母の庭にはえていた。
その夏、マリノフカには、すでに放射能が舞い降りていた。しかし人々は、これから恐ろしい不幸がおこるなどとは予期していなかったし、誰もこの古い大木にも死の兆候が表れているなど思ってもみなかった。
その木は、庭のほとんど三分の一を日陰にするので、村の人達は何度もこの木を切り倒すように祖母に助言した。
しかしその都度、祖母は断り、こう言った。「そんなことしちゃだめなんだよ。その昔、この木の下に、罪のない女の子の血が流されたんだから」と。
遠い昔の農奴の悲しい死の伝説を知ってる人はたくさんいたけれど、みんながそれを本当のことだと信じていたわけではない。だけど、私の祖母は信じていた。この驚くべき古木は、祖母にとって聖なるものなのである。
僕のいとこのナジェージュダは、このナシの木が好きだった。その年の夏休みにも彼女は祖母のところにやってきた。その夏は蒸し暑く、沈んだ雰囲気だった。でもおばあちゃんのいるマリノフカは、とても美しかったし、広々としていた。

ナジェージュダは夏中、祖母の菜園に滞在し、種蒔きなどの手伝いをした。
また彼女は森へ行って、イチゴやキノコを集めたり、近くの川で日光浴や水遊びもした。
ある日、地区のなんだかえらい人が来て、「村の土や水や空気はとてもきれいであります。ここは安心して住んでいただきたい。」と言って帰って行った。だから村人たちは安心して住み続けた。

大きく枝を張り、葉を茂らせたナシの木の下で、ナジェージュダは水彩画を描いた。彼女は画家になることを夢見て、美術研究所で勉強していた。

彼女はその夏、とても美しくなった。
十五歳だった。少女からレディーになった。
彼女は日記を書きはじめ、そこに秘密の想いや印象を書き残した。
しかし、この日記には、その後、腫瘍専門病院での苦しみが書かれることになる。
彼女の日記に書かれたことは全て、言葉で言い表せないほど、僕を揺り動かした。
とりわけ、最後の十日間分の内容はそうだった。
何という希望、生への渇望、人間的尊厳だろうか。何という悲劇、取り返しのつかないわざわいを感じていたのだろうか。
今、この日記は僕の手元にある。
僕はこの勇気と真の崇高さが記されたナジェージュダの日記の、最後の数日分をここに紹介したい。


三月一日
第十二号病室の男の子たちが、春のお祝いを言いにやってきた。病室には、もうすぐ春が来るというのに、不幸な私や男の子たちがいた。とおりにはまだ雪が残っていて、彼らは雪だるまをつくり、病院の大きなお盆にのせて私たちの病棟に持って来てくれた。
雪だるまはすばらしかった。それをつくったのは、トーリャに違いない。彼は彫刻家を夢見ていて、いつも粘土で何かをつくっているから。
彼は化学治療のあと、ベッドから起きることを今日許されたばかりだ。トーリャは、みんなの気分を盛り上げようとしたのだ。
「だって、春が始まったんだから!」その雪だるまのそばにはメッセージがあった。
「女の子たちへ。みなさんにとって最後の雪です!」と。「なぜ最後なの?本当に最後なの?」私たちは、ひとりまたひとりと泣きながらたずねた。雪だるまは少しずつ溶けた。それは私たちの涙で溶けてしまったように思えた。

三月二日
今日、おばあちゃんが来てくれた。大好きな、大切なおばあちゃんだ。
彼女は私の病気の原因は自分にあると思っている。
おばあちゃんに大きなナシの木の伝説を話してとお願いした。その大木の下で空想するのが好きだった。
だけど、そこはチェルノブイリ事故のあとは大きな原子炉になったみたいだった。絵に描くためにおばあちゃんの話を細かいところまで漏らさないように聞いた。おばあちゃんは静かにおだやかに話しはじめた。

「昔々、農奴制があったころのことでした。金持ちの領主がまずいしいけれど美しい娘を好きになりました。そして力づくで娘を城に連れて来たのです。マリイカ-この娘の名前ですが-ずーっと、城の中で泣き悲しんでいました。
ある日、この悲しい娘は、鍵番の青年の手助けで、彼と一緒に領主のもとから逃げることができました。
しかし、領主の使用人たちは、隠れるところのない草原に彼らを追い詰めました。無慈悲な領主は激怒して叫びました。
「お前が俺のものにならないというのなら、誰のものでもなくしてやる」と。領主はサーベルで娘に切りつけると、その不幸な逃亡者は大地に崩れるようにして倒れました。その罪のないマリイカの血が流れたところに、美しい野生のナシの木が生えたと言われています。・・・これが私がずっとナシの木を守ってきた理由なのよ。でも今はね、ナジェージュダちゃん、もうこのナシの木はなくなってしまったの。どこからかクレーン車が来て、このナシの木を根っこから引き抜いてしまったの。
ナシの木があったところには、セメントが流し込まれ、何かのマークがつけられたの。
もうみんな村から出ていってしまったわ。私たちのマリノフカは、空っぽになってしまったの。死んでしまったのよ」

おばあちゃんが帰る時、私には頼みたいことがあった。私が死んだら、墓地に埋めないで欲しい。それが心配だ。
美しい草原か白樺林がいい。お墓のそばにリンゴかナシの木を植えて欲しい。
でもそんなことを考えるのはいやだ!草にはなりたくない。生きなければならない!生き続ける!病気に打ち克つ力が十分にある。
そう感じる!

三月三日
できるかぎり痛みをこらえている。おばあちゃんの肖像画が完成した。おかあさんが、この絵を見て感動し、
「ナジュージュダ、お前には素晴らしい才能があるんだねー」と言った。主治医のタチアナ先生は、私には勇気があったから治療も成功したと言ってくれた。元気づけられた。神様おねがいします。持ちこたえ、生き続ける力をお与えください。
お願いします。

三月四日
医者はよくなっているというのに、どうして体力が落ちているのだろう。どうして急に病棟がさわがしくなったのだろう。
点滴のあと、この日記をつけている。どうしてほとんど良くなっていないのだろう。同じ病室の友だち、ガーリャ、ビーカ、ジーマが私を見るとき、何か悲しそうな目をする。今まで以上にひどく同情してくれているのがわかる。
彼女たちも同じような境遇なのに。わかった、誰も人間の苦悩を見たくないからだ。だがどうしようもない。
ここの病棟は満員になっている。タチアナ先生の話では、三年前には、入院患者はほとんどいなかったそうだ。
これらのことは全て、チェルノブイリ事故によるものなのだ。この不幸をもたらした犯人をここに連れて来て、この病棟にしばらくいさせたいものだ。自分のやったことの結果を見せつけたい。
アンナ・アフマートバを読み始めた。「私は最後のときを生きている」というテーマで絵を描きたくなった。

三月五日
10号室のワーニャちゃんが死んだ。大きな青い目をした金髪の男の子で、病棟のみんなから愛されていた。
まだ七歳だった。彼はここに来る前にドイツに治療に行ったこともある。昨日、ワーニャちゃんは自分の誕生日の
お祝いだからと、全員にキャラメルを配ってくれた。私たちもお祝いに病室に行ったら、とても喜んでくれたのに。
神様、あなたはなぜ、みんなに平等に親切ではないのですか。どうしてワーニャちゃんが・・・・。
何の罪もないのに。

三月六日
どんな痛みでも我慢できるようになった。おかあさんがその方法を教えてくれた。私の胸に、病院の入り口に
たちつくす母親たちの姿をやきつけることを考えついた。
母親たちは、私たちより苦しんでいる。彼女たちを見ていると、我慢しなければと思い、希望を持たなければと思う。
不幸をともにする仲間が、どんなに痛みと闘っているかを見たことがある。それは十五歳のボーバのことだ。
母親は医者のところに走り、医者は彼に痛み止めの注射をする。薬の効く間だけ苦しみのうめきは止まり、
鳴き声はやむ。今後この少年はどうなるのだろう。私たちはどうなるのだろう。
私が思うには、チェルノブイリの惨事は、人間の理解をこえたもののひとつである。
これは人間存在の合理性をおびやかし、その信頼を無理矢理奪い去るものにほかならない。

三月七日
今日、デンマークの人動的支援組織の人が来た。
この病室にも、ふわっとした金髪の女性が入ってきた。とても美しく、魅力的な人だった。
私のそばに座り私の頭をなでると、彼女の目に涙があふれてきた。通訳の人の話では、数年前、
彼女のひとり娘が交通事故で突然亡くなったそうである。この外国のお客さんは、身につけていた十字架の
ネックレスをはずし、私の首にかけてくれた。
子どもに対する純粋な愛は世界中の母親、みな同じであることを感じた。

三月八日
今日は祝日。机には、オレンジ、バナナ、ミモザ、アカシアの花束が置いてある。それには、詞が書いてある
美しい絵はがきが添えてあった。

望みは何かというと
あなたがよくなりますように
あなたに太陽が輝きますように
あなたの心が愛されますように
あなたのすべての災難と不幸が
勝利にかわりますように

私たちはいつも健康と幸福を望んでいる。
ただ勝利だけを。恐ろしい病気に打ち克とう。幸福はあなたのものだ。
病院の講堂で国際婦人デーの集会が開かれた。トーリャと一緒に踊った。
でもそれは少しだけ。すぐ目がまわりはじめるからだ。
友だちが私たちは美しいペアだと言ってくれた。

三月九日
おとぎ話は終わった。再び悪くなった。こんなにひどくなったことは今までなかった。朝から虚脱感がひどく、
けいれんが止まらないが、薬はもう効かなかった。最も恐ろしいことは髪だ。髪が束で抜ける。
私の頭からなくなっていく。
回診のときにタチアナ先生は、治療はもう完了したので、あとは自宅で体力を回復させなさいと言った。
私は先生の目をのぞき込んだ。そして理解した。全てのことを!

三月10日
おかあさんは私の好きなコートを持ってきてくれた。それを着れば私だってまだこんなにかわいいのに!
私はやっと歩いて、病棟のみんなにわかれを告げてまわった。さようなら、みんな、私を忘れないでね!
私もみんなのこと忘れないから!

ナジェージュダは三月の終わりに死んだ。
日記の最後はラテン語の「Vixi(生きた)」で結んであった。彼女は自分の人生で何ができたのだろうか。
彼女は何を残したのだろうか。何枚の風景画とスケッチと肖像画。それと大地に残る輝かしい足跡だ。
みなさん、子どもたちの無言の叫びを聞いて下さい。援助に来てください。神も、悪魔もいらない。
ただ人間の理性とやさしい心だけが、痛み、苦しみ抜いている大地を救うことができるのです。
みんなで一緒になって初めて、チェルノブイリの恐ろしい被害を克服することができるのです。




この文章を読んでワタスは涙を押さえることができませんですた。
こんちくしょう。涙があふれてしょうがない。
この若くして死んだナジェージュダさんの日記。
我々のできることと言えばこの日記を転載するだけですが、どうかブログやWEBサイトをお持ちの方、転載をお願いします。

この日記を読んでワタスは思います。
今もいろいろとあーだこうだ。原発に関しては、いろいろと意見が分かれ、何が正しいのか。何が間違っているのか。喧々諤々、それぞれが自分の方が正しいと主張しあって相手を非難している。
しかし正義で何が解決するでしょうか。

正義なんていらない。
この日記の最後にあるように。
ただ人の心のやさしさ。それだけが苦しみ抜いている大地を救うことができる。
ワタスもそう思いますた。

本当にありがとうございますた。


転載以上ーーーーーーーーーーーーーーーーー

私も泣けてきました。祖母の顔が思い出されました。

胸が苦しい。

2011年10月12日水曜日

本当に重要なことは、自分だけの心にしまっておいて、その場を楽しむ作法

いわゆる日本的空気とは何か?

ある会話中、それぞれは参加者全員の意見を聞きながら、それぞれが勝手に咀嚼し、勝手に判断を脳内で下している。もちろん、相手の所作全てを見ながらだ。
そして勝手に、「ここでこの発言をしないほうがいいな」「ここはこういうべきだろうな」と勝手に考えている。
判断基準はもちろん場を盛り下げないこと。「この会話の流れを壊さずに、どういう発言が一番みんなに受容されるのか?」だ。

つまり議論を避けた、おもねる思慮。
本当に重要なことは何かってのは、自分だけの心にしまっておいて、その場を楽しむ作法とでも言えばいいのか?

なぜか?
簡単に言えば儒教的見栄の文化でしょう。一度言った事は完遂しなければならない。友人知人に顔が立たない。言い訳ができない。と常に自分の見栄のために、他人の目を見て非難を避ける文化的なものがあるからだろう。
そんなのどうでもよくて、たいしたことがないのは、TVに出てくる政治家を見ていればよく分かるのに、それにこだわるのもまた、儒教的見栄の文化なのでしょう。

どうだろうか。
よく考えてみれば本当に重要なことって声高に叫ばないよね。
そういうものって、万が一間違えたらって考えて、個人の見栄のために心にしまっておくのが常だろうね。

特に今回の原発・放射能問題は本当に重要なことなので、対外的にはその場を楽しみながら人知れず対策を行うの日本的空気なのでしょうね。
そうすれば面子が保てる。公言していないので失敗しても恥をかかない。ということでしょう。

そして静かに、見栄の担保に事実を探し、日本人は危険地区から避難をするのだとおもいます。