2012年1月28日土曜日

関東の震災リスクが高まっているように見える

どうやら風雲急を告げてきたようだ。

過去の関東大震災時、関東内陸での地震が震災の前震だった。

とうとう本日、それと思われる地震がおきた。

今後関東を訪問する際は、よっぽどの事態を想定し装備品を固め、避難経路を事前に検討し、徒歩で脱出するくらいの気構えが必要だろう。







脱出用備品は、各自必要なもの自分で決めること


以下は自分の資料用としてメモである。ーーーーーーーーーーーーーー

食料は3日分を目安に氷砂糖や飴・ドライフルーツ・蜂蜜などバッグにしのばせる。ビスケットなどはのどが渇く事を念頭に置く。水は1日2リットルと言われるが、無補給時のために必ず1リットルはバッグに入れておく。

震災直撃の可能性の高い場所に住む方は、貴重品は持ち歩くのも検討する(福島では窃盗団が暗躍し、被災家屋から金庫・現金・家財・車が盗まれたし、銀行・ATM・宝飾・時計店は荒らされた)。

生理用品も多めに用意。女性は催涙スプレーを持つとより安心。

必要時に無いと困るので、MAP(あれば自治体作成避難マップ)・缶切り・ナイフを準備する。

携帯ラジオ・新聞紙(防寒と燃料用、毎日購入するのを心がけよう)を準備する。

釘などの踏み抜き防止に底の厚い靴や、踏み抜き防止インソールの利用を心がける。

保存の利くエネルギー源は必須だが、自分ひとりの積載量はそれほど無い。あれもこれもは避ける。

自販機は破壊されているか、中身は無いと思うこと(あればラッキー)。

コンビニが開いていれば購入する。しかし火の手が上がれば、購入するために並ぶことはできない。潔く逃げる必要がある。

水の供給は思った以上にあると思われるので、防災拠点である役所などの場所を覚えておくと良い。

ーーーーーーーーーーーー以上

残念ながら、首都には1000万の食料など1日も存在しない(物流で時間ごとの配送で成り立っている)し、役人は自分らの食料の確保を優先する(東京の知事・痴事・恥事は石原だぜ?)。

福島の事例を見て判るが、義援金は被災者には決して届かず、どこに行ったか不明とさせられる(新聞が原因を突き止めた事例は無い。不明を報道した事例はある。きっと役人や議員に取り巻く集団がほしいままにしたんだろう)。







@eqbot地震速報

#地震 NHK 01月28日07時43分 山梨県東部・富士五湖maps.google.co.jp/maps?hl=ja&iwl… 35.5N 139.0E 18km M5.4www3.nhk.or.jp/sokuho/jishin/…震度5弱 忍野村 富士河口湖町

27分前 eqbot/地震速報からお気に入りに登録 リツイートの取消 返信






@eqbot地震速報

#地震 NHK 01月28日08時04分www3.nhk.or.jp/sokuho/jishin/…震度3 神奈川西部 山梨東部・富士五湖

2時間前 eqbot/地震速報からお気に入りに登録 リツイート 返信







@eqbot地震速報

#地震 NHK 01月28日09時22分 岩手県沖 maps.google.co.jp/maps?hl=ja&iwl… 40.2N 142.5E 40km M5.6www3.nhk.or.jp/sokuho/jishin/…震度4 八戸市 普代村

48分前 eqbot/地震速報からお気に入りに登録 リツイート 返信







@eqbot地震速報

#地震 NHK 01月28日09時39分 長野県南部 maps.google.co.jp/maps?hl=ja&iwl… 35.9N 137.6E 10km M2.4www3.nhk.or.jp/sokuho/jishin/…震度1 木曽町

39分前 eqbot/地震速報からお気に入りに登録 リツイート 返信
以上








【動画】被曝医師・肥田舜太郎さんが語る『真実の原子力』

この動画はぜひご覧になってください。
http://www.youtube.com/watch?v=3p73GY19ZrY

肥田 舜太郎氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%A5%E7%94%B0%E8%88%9C%E5%A4%AA%E9%83%8E
肥田 舜太郎(ひだ しゅんたろう、1917年 - )は、日本の医師、医学博士。広島市への原子爆弾投下により自身が被爆しつつ、直後から被爆者救援・治療にあたった。以来被爆者の診察を続け、被爆の実相を語りつつ核兵器廃絶を訴えている。

経歴
広島市生まれ。中津川肥田氏の肥田帯刀17代目にあたる。

1943年、日本大学専門部医学科卒業。1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。1945年8月6日、原爆に被爆、直後から被爆者救援・治療にあたる。広島陸軍病院の山口県熊毛郡伊保庄村への移転にかかわり、1945年12月の厚生省への所管替えに伴って国立柳井病院(現独立行政法人国立病院機構柳井病院)に所属。

1940年代終わり頃、広島に検査だけして治療はしない病院(原爆傷害調査委員会:ABCC)がつくられるとの噂から、依頼を受けて、治療もするようにと厚生大臣や連合国軍総司令部と交渉。結局断られ、理不尽な占領軍の傲慢さに憤って、アメリカの無法と闘うため占領権力に真正面から立ち向っていた日本共産党に入ろう、と決心し入党した。この頃、東京都杉並区、のち埼玉県行田市で、労働者や貧しい人のための診療所をつくる運動に参加。[1]

1953年、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)創立に参加。1956年、行田市議会議員選挙に日本共産党から立候補、3位で当選[1]。全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院院長、日本原水爆被害者団体協議会原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。1975年以降、欧米を中心に計三十数カ国を海外遊説、被爆医師として被爆の実相を語り、核兵器廃絶を訴えた。2005年、イギリスBBC製作のドキュメンタリー"en:Hiroshima: BBC History of World War II"に、また、2006年、ドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』(アメリカ合衆国、2007年公開)に出演して、インタビューに答えた。

被爆患者の臨床をふまえて、「原爆ぶらぶら病」とよばれる症状や、内部被曝、微量放射線・低線量被曝の健康影響について研究し、その危険性について述べた。のべ64年間、6000人を超える被爆者の診察を続け、2009年、医業から引退。[2]現在、全日本民医連顧問。

2011年3月の福島第一原発事故後、放射線の健康影響について発言している。

【転載記事】内部被曝の恐怖【後編】「日本の医学界が被曝の影響を無視してきた理由」

http://nikkan-spa.jp/116117より転載

広島市への原爆投下により、自身も被爆した医師・肥田舜太郎氏。
原爆を投下された日本で、放射線被曝の研究が進まなかった理由をこう語った。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

◆原爆の長期的な影響は、米国の「軍事機密」として隠されてきた




出征時の肥田氏。’44年に軍医となり広島陸軍病院に赴任、’45年に自らも被曝し、その後被曝者の救助にあたった
日本の医学界は、放射線被爆の長期的な影響をずっと無視してきました。なぜそうなったかと言えば、広島・長崎に原爆が落ちてすぐ、日本が降伏して米国の軍隊が占領し、総司令官が統治を始めました。そして「米国の軍事機密」だとして、原爆の影響について研究したり論文を書いた
り、学会で論議したりすることを禁じたからです。

その後、日米安保条約が結ばれ、米国の「核の傘」に守ってもらうために「被爆の実態は軍事機密」としておかなければならない時代がずっと続きました。ですから、日本人は広島・長崎の原爆による影響として、どんな症状が出て、何人死んだのかという長期的なデータを持たずにきたのです。

日本政府は米国が「してはいけない」と命令したから、何もしなかった。被爆者が苦しんでいるのに、政府はまったくおかまいなしでした。そして占領軍が帰って5年後の1950年に、原子爆弾被爆者の医療に関する法律をつくり、本人が申し出た場合だけ「被爆者手帳」を発行するようになりました。

でもこれは、年に1回無料の健康診断をするというだけのものでした。多くの人にとっては、結婚とか就職とか生命保険に入るときとか、いろいろな場面で被爆者として差別されるようになってしまった。長期被曝の影響を受けたと思われる人が、名乗り出づらい風潮ができてしまったのです。そのうち、日本人は誰も原爆の問題で騒がなくなりました。

ソ連でも、チェルノブイリの患者を精密に調べた医師(バンダジェフスキー博士)が、「放射線の影響で心筋梗塞になりやすい」ということを論文に出しました。すると、政府の「放射線は無害」という方針に反したとして、別の冤罪で捕まって逮捕されるというような時代がありました。ソ連も核兵器を持ち続ける必要があったからです。

福島原発の事故でも、長期的な被曝の影響が心配されます。私が広島・長崎で診てきた症状が、先々に出てくる恐れがあります。

きちんと治療と補償が行われるためにも、「軍事機密」として調査を行わなかったかつての過ちを繰り返してはならない。私たちは政府や東電に徹底した情報公開を求めたうえで、正しい知識と効果的な対処法を身につけていかなければならないと思います。


被爆者に対して、わかりやすく解説された「被爆者健康ハンドブック」。保険や補償の話から、長生きするための日常生活の心得に至るまで、詳しく書かれている
【肥田舜太郎】
’17年広島生まれ。医師。広島市への原爆投下により自身が被爆、その後被爆者の救援・治療にあたる。臨床体験をふまえて「原爆ぶらぶら病」と呼ばれる症状や、内部被曝、低線量被曝の影響に関する研究にも携わった。

撮影/大西史恵 取材・文/北村土龍

転載終了