2011年10月12日水曜日

本当に重要なことは、自分だけの心にしまっておいて、その場を楽しむ作法

いわゆる日本的空気とは何か?

ある会話中、それぞれは参加者全員の意見を聞きながら、それぞれが勝手に咀嚼し、勝手に判断を脳内で下している。もちろん、相手の所作全てを見ながらだ。
そして勝手に、「ここでこの発言をしないほうがいいな」「ここはこういうべきだろうな」と勝手に考えている。
判断基準はもちろん場を盛り下げないこと。「この会話の流れを壊さずに、どういう発言が一番みんなに受容されるのか?」だ。

つまり議論を避けた、おもねる思慮。
本当に重要なことは何かってのは、自分だけの心にしまっておいて、その場を楽しむ作法とでも言えばいいのか?

なぜか?
簡単に言えば儒教的見栄の文化でしょう。一度言った事は完遂しなければならない。友人知人に顔が立たない。言い訳ができない。と常に自分の見栄のために、他人の目を見て非難を避ける文化的なものがあるからだろう。
そんなのどうでもよくて、たいしたことがないのは、TVに出てくる政治家を見ていればよく分かるのに、それにこだわるのもまた、儒教的見栄の文化なのでしょう。

どうだろうか。
よく考えてみれば本当に重要なことって声高に叫ばないよね。
そういうものって、万が一間違えたらって考えて、個人の見栄のために心にしまっておくのが常だろうね。

特に今回の原発・放射能問題は本当に重要なことなので、対外的にはその場を楽しみながら人知れず対策を行うの日本的空気なのでしょうね。
そうすれば面子が保てる。公言していないので失敗しても恥をかかない。ということでしょう。

そして静かに、見栄の担保に事実を探し、日本人は危険地区から避難をするのだとおもいます。