2015年7月17日金曜日

葛藤こそ権力・支配者との戦い

葛藤。。 内在される規範と主体性の葛藤は日常おこる。 やっていいのか悪いのか? To be? Or not to be? その葛藤こそが、植えつけられた権力、つまり統治システムとの戦いではなかろうかと最近思うのだ。 自己内に形成された倫理観や規範は、幼少からの公教育による支配の記録、統治の歴史、植えつけられた権力である。 それこそが、自己統制でもって、主体性があると思わせつつも、本来の主体性を権力の思うように制御するのを可能にさせる統治システムではなかろうか。 「ベッドにまで法律が」とはフーコーの弁だが、よく言い表されている。 彼は「監獄の誕生」「知への意志」のなかで、権力とは自己内の力関係、つまり内部葛藤ではないかと新たな側面・視点を見出した。 ミクロな権力である。 従順になれと人は言う。 法律を守れと人は言う。 暴力はするなと人は言う。 しかし、、、どうであろうか? 主体性をもって行動することを、どれほど押さえつけられているのか、よくわかるだろう。 統治システムの作った方法でしか、主体性を表すことが現在の最有力であるとするのなら、統治システムは何も怖がらない。 選択は統治システム側にあるのだから。