2012年1月21日土曜日

健康被害が出ない意味(これからは新風土病とするのかなw)

気になったブログがあるので引用をして、コメントをする。

以下引用開始ーーーーーー
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/e918640b13e6c6efbde3fecedd0b4550#comment-list

”御用学者”池田信夫大先生が高らかに宣言 「福島で健康被害は出ない」
2012年01月21日 | Weblog




(転載開始)

◆福島で健康被害は出ない
2012年01月20日 09:58 池田信夫

きのうのニコ生アゴラのテーマは「放射能」。
高田純氏の現地調査による報告が中心だった。
彼の結論は「福島で健康被害は出ない」。

これは中川恵一氏の結論とも一致し、事故後に開かれた二つの放射線に関する学会でも同じ結論が出ている。
福島県の健康管理調査の結果も同じだ。

いまだに「内部被曝が恐い」という都市伝説があるが、高田氏が実測した結果でも、内部被曝は生涯線量で最大数mSv。
これも福島県の調査と同じだ。

食物によって摂取する放射性物質も無視できる程度であり、松田氏は「4月から規制が500Bq/kgから100Bq/kgに強化されるのは福島県の農業被害を拡大する」と批判していた。
「命は金に代えられない」という類の話も、今回は命に別状はないのだから問題にならない。

コメントは3万以上つき、「原発推進派の話は信用できない」という意見もあったが、松田裕之氏は「私は原発に反対だが、今回の事故では健康被害の心配はない。それより過剰避難や農産物の出荷停止による二次災害が問題だ」と明言した。
原発に賛成か反対かという価値判断と、事故でどういう健康被害が出るかという事実判断をわけて考えないと混乱する。

いま緊急に重要なのは、原発の是非論や発送電分離などの問題ではなく、すでに起こった事故の被害を最小化することだ。
チェルノブイリ事故で確認された死者は60人前後だが、30万人が強制退去を強いられ、20万人が家を失い、1250人が自殺した。
福島でも、高田氏の調べた限りでも3人の自殺者が出ている。
被災地の農家は全財産を失い、家畜も死亡した。
政府の「収束宣言」は批判を浴びたが、そういう手続きを踏まないと被災者をいつまでも帰宅させることができない、と澤昭裕氏は政府の対応を求めた。

「放射能は恐い」と恐怖をあおったマスコミも、事実がわかってトーンダウンしてきた。
「危険厨」のヒーローだった武田邦彦氏もホルミシス仮説を認め、「年5mSvまでは放射線を浴びたほうが健康になる」と言い出した。
残るのは「科学的な根拠はないが、よくわからないから恐い」という安富歩氏のような被害妄想だけだが、これも半減期は1年ぐらいだから、そのうち消滅するだろう。

おととい田原総一朗氏とも話したことだが、今回の事故で原発の新規立地は向こう10年ぐらい不可能になったと思われるので、原発推進か否かという論争には意味がない。
それとは切り離して事故の影響を客観的に評価し、健康に影響はないという事実を政府が説明するリスク・コミュニケーションが重要だ。
ただ政府が信用されていないことがその障害になっているので、科学者がもっと発言する必要がある。

GEPRでは、科学者からの投稿を募集している。


●『Global Energy Policy Research』(略称:GEPR)
公式HP:http://www.gepr.org/ja/


(転載終了)


「あまりに酷いものを見てしまってすぐに言葉が出ない」

今や”反原発派”に真っ向から異論を唱える”御用学者”の急先鋒とも言える池田信夫による上記ブログ記事を読んでの率直な感想である。

どこもかしこもツッコミどころ満載の内容で、一体どこから話してよいのかわからないが、まず目を引くのがその”キャスティング”(登場人物)である。

先日のエントリーでも取り上げた、「福島県民甲状腺がんゼロ論文」にてアパ論文大賞を見事(?)に受賞した高田純にはじまり、福島原発事故直後に”大活躍”した「東大中川チーム」の中川恵一や、「福島県」=”原発マフィア”佐藤雄平福島県知事ら”原発利権村”の住人が次々に登場し、最後に極めつけで田原総一郎の登場である。

 






これだけ見事なまでの嘘つき連中を並べ立てて、一体何を信じろと言いたいのであろうか?
あまりの”馬鹿さ加減”に失笑するよりほかないであろう。

池田信夫の手に掛かれば、「内部被曝が恐い」という主張は”都市伝説”であり、「放射能は恐い」と恐怖を煽ったマスコミは、事実がわかってトーンダウンしてきたんだそうだ。

政府・官僚・東電らの”悪行”をロクに追求もせず、真正面から原発事故に向き合わず、芸能・スポーツネタを垂れ流し、お涙頂戴の「絆(キズナ)物語」に興じるマスゴミ・マスメディアのどこをどうみれば、「トーンダウン」していると言えるのであろうか?

また、誰もその危険性を完璧に立証できていない「内部被曝」について、ただの一経済学者がその危険性を100%否定すること自体、”傲慢”な態度と断じるよりほかない話であろう。

そして池田信夫が主張する「放射能安全神話」の拠り所であるが、「大丈夫」「安全」という都合のいい意見を寄せ集めて「みんなが大丈夫と言っているから大丈夫」という、実に稚拙な内容である。

池田信夫の姿勢・主張は、都合のよい統計データだけを持ち出して己の主張を正当化する経済学者や経済評論家のお得意とする”後付けの屁理屈”以外の何ものでもないというのが個人的見解である。

上記記事の最後から2行目にて用いられているように、「客観的」と称して己の主観を展開する論法は、池田信夫のいつもの”騙しのテクニック”である。

そして最後に登場する「GEPR」とは何なのだろうかと調べてみたら、池田信夫が最近立ち上げた「日本と世界のエネルギー政策を深く公平に研究し、社会に提言するウェブ上の”仮想シンクタンク”」のようである。

公式HPを眺めてみると、またまた中川恵一といった”御用学者””御用評論家”の類が多数登場するトンでもない代物である。

どうせロクな内容ではないゆえ、各記事の中身は読んでいないが、以下に列挙したように、そのタイトルと書き出しの一節をみただけでも如何に偏向した内容であるかは一目瞭然であろう。


「原爆の被害者調査からみた低線量被曝の影響 — 可能性の少ない健康被害」(石井 孝明)
~原爆の生存者の間では低線量の被曝による健康被害がほぼ観察されていない~

「原子力発電施設等放射線業務従事者等に係る疫学的調査(第Ⅳ期調査 平成17年度〜平成21年度)」(放射線影響協会)
~2005年から2009年に20万3904人に調査をし、1人当たりの平均累積線量は 13.3mSvでした。この対象者に健康被害は観察されていません~

「高自然放射線地域住民の健康調査」(公益財団法人体質研究会)
~世界には自然高線量放射線の放射線地域があります。(中略)これらの地域で放射線による健康被害は観察されていません~

「放射線被ばく基準の意味」(中川 恵一)
~震災から10ヶ月も経った今も、“放射線パニック“は収まるどころか、深刻さを増している(中略)私なども、東電とも政府とも関係がないのに、すっかり“御用学者”のレッテルを貼られる始末~

「原子力発電のリスクと経済性の再検討」(池田 信夫)
~非常に大きな事故という印象を与えているが、放射能による死者は1人も出ていない。原発の地下室で津波によって作業員2人が死亡したが、致死量の放射線を浴びた人はいない~


馬鹿馬鹿しいのでこの辺で終わりとするが、ここまで露骨に”原発擁護”発言を繰り返し、”反原発”的論調を徹底糾弾する池田信夫という男は、「”原発利権村”の連中から一体いくら貰っているのであろうか?」と勘繰らずにはいられない人物である。

この「GEPR」なる”仮想シンクタンク”(WEBサイト)を運営し、池田信夫が代表を勤めている「アゴラ研究所」なる法人の収支構造を読み解けば、自ずとその化けの皮が剥がれよう。
(必ずや”原発ムラ”にたどり着くことであろう)

引用終了ーーーーーーー

以下コメント。

健康被害が無い理由は、診断する医者が放射能が原因とだれも明確に言えないからです。
診断書にも書かない。書けない。

だから、そりゃ増えるわけ無い。あったら偽造になる。

放射能健康被害を蓄積してきた過去が無いのに、どうやって「放射能の影響です」っていえる医者が居るんですか?笑っちゃいますよ。

基本的に、風邪のような症状がでたら、風邪薬とか処方されて、経過観察でしょう?

医者にかかった患者や、診察者に「医者がなんと言って、どんな処方をして、記録したのか」直接ヒアリングしてみてください。

科学は、後付です。

「エビデンス」とのたまう方々は、「真実は証明できなければ真実ではない」ということを言っているのです。太古から証明などできなくても、重力は存在し、物を投げればいずれ地面に落ち、海は流れ、川は氾濫し、植物は育ちそして枯れ、人は死に、宇宙は存在し、地球は丸く、宇宙に浮かんでいたし、それが今も続いているのです。

現在と、エビデンスが必要な科学者が住んでいる時間軸の違い、つまり科学者の判断に必要なのは過去なのだということを理解してください。
(科学的方法:物事を調査し、結果を整理し、新たな知見を導き出し、知見の正しさを立証するまでの手続き wikiより引用)

そういった意味で、医者も科学者も過去に生きているのですから、現在などわかりませんし、過去の放射線健康被害のエビデンス蓄積もありませんから、判ることができません。
(心では疑っていても、病名が付けれない)

だから、エビデンスを蓄積していた肥田元医師は「放射線症状だ」と判断するでしょうし、チェルノブイリでの経験のある医者も判断できるでしょう。

でも、そういった医師の意見はどうやら見逃しているようです。

どんな症状であれ、その地域に居る人が体調を崩し、病院にかかっているひとが多いのではないですか?知っていたら教えてください。
もし、原発事故後放射性物質が撒かれ落ちたその地域にだけ、特異に医師の診断を仰ぐ人が多いのであれば(症状・病名ごとの区分は考えない)何かしらの新風土病でも発生しているとして、一時的に離れるという選択も間違って無いと思います。

エビデンスが無い、だからこそ、健康被害が無いって言えちゃうんでしょうね。

原発発生後の新風土病にしちゃいましょうよ。結果が出るまで。

池田何とかをはじめとして、
健康被害が無いといった方々全員、その地域に住まわれているのでしょうか?
まさかとは思いますが、安全なところから「被害が無い・今後も無い」って言っているのでしょうか?
池田何とかが家族とともに福島の放射性物質にさらされた土地に住んで、孫の代まで何も無ければ(いろんな症状が出なければ)安全なのでしょうね。
ちなみに福島のある首長の家族は逃げてますし、東電社員や、公務員まで逃げてますし、枝野は完全防護で福島を訪問してますけど非難した?
最悪首都避難を検討した政府を「放射能被害は無いから逃げる必要が無い」と非難した?してる?

それを見ても、池田何とかの類は、信用に値しない妄言だと理解できよう。



2012年1月20日金曜日

【動画】ザ・コーポレーション

私は思うのだが、アメリカがあれほど疲弊しているのになぜアメリカが過去行ったような政策をしてゆかなければならないのだろうか?
ある意味、アメリカの政策は間違いではなかろうか?
大企業による社会蹂躙、愚民政策、人工的景気変動、金利、マネーコントロールなどなど。

本来であれば国民や地域社会への貢献すべきもの・ことを、全て資本家のために還元する。
そういったことで社会は疲弊(近代的ビルの隣にバラックが立ち並ぶような)させ、収奪してきた歴史をなぜ見ないようにするのか?

本当に、誰のためなのかが、良く判る現代である。
時には、殴る強さも必要なんだと思います。

そんな企業の「性格」に関するドキュメンタリー(2003年)です
http://www.youtube.com/watch?v=NE5arj1B7mk&feature=related

2012年1月19日木曜日

【転載記事】内部被曝の恐怖【中編】「放射線に対抗する唯一の方法は?」

http://nikkan-spa.jp/119088より転載
「被曝をできるだけ少なくするために、『原発からとにかく遠く逃げろ』とか『汚染されてない食べ物を食べろ』などと言われています。でも、遠くに逃げても生活できて、汚染されていない食べ物を調達できるというのはごく一部の人々です。ほとんどの人々は、放射能汚染されたこの日本で生きざるをえない状況になっています」と語るのは、広島市への原爆投下により自身も被爆した医師・肥田舜太郎氏。それでは、今後どうやって放射能から身を守ればよいのだろうか? 肥田氏に聞いた。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

◆放射線に対抗する唯一の方法は、生まれつき持っている免疫力を弱めないこと

私は、「自分で自分の身体を守るしかない」とはっきり言います。特別な方法はありません。「放射線に対する免疫力を弱めないように、健康に生きる」という、この一点につきます。

人間の祖先は40億年前にこの地球上に現れてから、紫外線と放射線でどんどん死んでいきました。奇形もどんどん生まれていった。しかし、長い年月を経て進化を続け、放射線に抵抗できる免疫をつくってきました。その結果、いま紫外線や放射線の影響を受けても、地球上で毎年生まれれる新生児10万人のうち、1人くらいの奇形が生まれるレベルにまで免疫を高められたんです。

ですから、放射線に対抗する手段は、これまでの「動物としての人間の生き方」に学ぶしかない。夜更かしして夜遅くまで遊び回るなんて、せいぜいここ数十年のもの。その前は太陽とともに寝起きしていました。いちばん大事なのは「早寝早起き」です。そうしないと、先祖から引き継いできた免疫力が低下してしまいます。

それから、食べ物の食べ方。日本人の主食はコメですが、よく噛まない人はその8割9割を便として排出してしまっています。これは、口の中で唾液中の酵素ジアスターゼとコメが十分交わらずに腸がうまく吸収できないためです。ですから「食事のときによく噛め」というのは、人間の免疫力を保持するための鉄則なんです。免疫という意味で言えば、味噌や梅干しなど、日本の伝統食品である発酵食品が放射線から守ってくれるというのも頷ける話です。

人間は6つのことしかできません。睡眠、食事、排泄、働く、遊ぶ、セックスです。この一つ一つに、健康に生きていくための法則がある。これは広島・長崎の被爆者を長生きさせるために、被爆者と一緒に研究し、実践してきたことで得た教訓です。誰にどんな影響がでるかわからないからこそ、免疫力を保持し、健康を守って生きるしかないのです。

多くの学者はそのことを言わない。「年間何ミリシーベルトまでなら安全です」と言うだけです。内部被曝を受けていれば、先々は安全かどうかなんて誰にもわからない。彼らは「わからない」ということを認めたくないのです。

⇒【後編】に続く http://nikkan-spa.jp/116117
日本の医学界が被曝の長期的な影響を無視してきた理由とは?

【肥田舜太郎】
’17年広島生まれ。医師。広島市への原爆投下により自身が被爆、その後被爆者の救援・治療にあたる。臨床体験をふまえて「原爆ぶらぶら病」と呼ばれる症状や、内部被曝、低線量被曝の影響に関する研究にも携わった。

撮影/大西史恵 取材・文/北村土龍

転載終了

2012年1月17日火曜日

内部被曝との対峙

内部被曝についての考察

琉球大学 矢ヶ崎克馬教授の考察です
PDFですが、ご覧ください。

http://www.cadu-jp.org/data/yagasaki-file01.pdf

実際、どれほど摂取したのかわからない。
なので、今後も食事には神経を使うべきである。
本来であれば、福島近辺の放射性物質の移動を禁止すべきであったが、政治経済界の要望により国内流通を選択したのが始まりである。

基本は、牛乳など乳製品、お茶、魚介類、平成23年度産の東北地方の玄米、きのこ類の摂取を控えることである。放射性物質は「無いに越したことは無い」のが根本として必要だとおもう。

それでも、防ぎようが無いのはあらゆる製品に多様な原材料が使われており、その全てを把握できないためである。住生活全てにおいて放射性物質ゼロの徹底が不可能に近いことを事実として認識することも必要ではなかろうか?

しかしフィチンを初め、放射性物質を排泄するに役立つ物質が、自然界には多く存在する。
またビタミンCを摂取し、フリーラジカルの抑制をし続けるのも防御の一つである。
後は過度のストレス状態からの脱出も、放射性物質の被曝防御に役立つ。

にこやかに生活することがもっとも体に良いことは、肥田教授もおっしゃって居る。
体内に摂取しても、量が少なく排泄、除去ができ、かつビタミンなどで体を補修しながら、楽しく居来ることがいいのだと思う。

もちろん、だからといって放射性物質が無害だといっているわけではないし、摂取を薦めることはしない。放射性物質はあくまでもゼロが目標であり、ゼロ徹底が実質不可能に近いが為の自己防御手段である。

対策の施しようの無いものは自衛しかないと言っているのである。

食品以外の自衛としては、平成23年度以降の生産物は工業品も含めてよく考えないといけないということだ。

放射性廃棄物ともいえるほど汚染された被曝地の車を盗み、まっとうな中古自動車として販売しているやくざな業者が他業種にわたっていることを念頭に置かなければならない。
リサイクル品、木材、肥料、庭園産品、キャンプ場、釣堀など地域を選ぶ必要があるだろう。
コンクリートになってしまえば、もう追えないので、震災後の新築物件は要注意である。
また、工場からの産品は、生産後もしくは仕入れ後に野積みされるものがある(コンクリート製品、車、鋼材・プラスチック原料、鋼材・プラスチック製品、電線、木材、土砂、建築資材、園芸用品など多種多様なもの)し、移動の際に汚染される可能性がある。

知恵を絞って生きてゆくことになろう。

2012年1月12日木曜日

【転載記事】元広島陸軍病院医師 肥田舜太郎氏が警告

今、放射線の危険性(特に内部被曝)と原発の廃止を訴える方々は、
元広島陸軍病院医師 肥田舜太郎氏を初め、
京大 小出助教授、
琉球大 矢ヶ崎教授
ジャーナリスト 広瀬隆氏
でしょうか?
もちろん他にもいらっしゃることと思います。

中部大 武田教授は廃止よりも「1mSv/yの国際合意を守れ」という立場で「合意を勝手に無視するのは危険だ」とし、放射線そのものが危険というわけでなく「もう少し合意を変えたら?」という主張ではないかなと思います。

実は日本には何千と同じ医師やジャーナリストが存在しますが、なぜこの事態になって黙っているのでしょうか?

もちろん多くの人が、そのことに気づいていることと思います。だからこそ黙って関東から人が移動し、日本から黙って出てゆく人がいるのでしょう。

きっと日本人は、議論が存在すればするほど、議論から離れているのではないでしょうか?

議論で修復できない今までの関係になってしまうと危惧するのでしょう。
もちろん、その心配は十分に理解できます。

デモでも、暴力でもなく、粛々と法にのっとって、直感で黙って判断し、行動する自由の行使が、市民に残された最後の「生きる術(抵抗)」と思われます。

だからこそ、何も言わずに自分の判断を信じる人が居るのだとも思います。




以下転載

◆元広島陸軍病院医師 肥田舜太郎氏が警告
2011年6月21日 掲載 ゲンダイネット

○日本で初めて「内部被曝の危険」を指摘した




●3年後の「ブラブラ病」、7~8年後の「白血病、がん」に注意すべき

福島原発事故の収束のメドが立たない中、7月にも、福島県民を対象にした健康調査が始まる。
追跡期間は30年間という世界でも例を見ない大調査だ。
特に重要なのは「内部被曝(ひばく)」の影響。
事故当初に政府が強調した「直ちに影響はない」は本当なのか。
原発周辺の県民の避難範囲30キロは正しい判断なのか――。
「内部被曝」の危険性を国内で最初に指摘し、元広島陸軍病院の軍医少尉として、被爆者の治療に当たった肥田舜太郎氏(94)に聞いた。

「原爆の直撃は受けていないのに、肉親を捜そうと、3日後や1週間後に市内に入った人たちがその後、被爆者と同じ症状で亡くなる……。初めは状況が分からなかったが、そういう患者をたくさん診て『内部被曝』を確信しました。しかし、米国は一切認めない。箝口(かんこう)令が敷かれ、情報は厳しく管理されました」

「内部被曝」の問題が表面化したのは、54年の米国のビキニ環礁水爆実験で、第五福竜丸が被曝した一件からだ。
「本当は第五福竜丸以外にも、周辺で被曝した漁船は700~800隻ありました。しかし、医師らが調査に駆けつけると、米国は既に船主にカネをつかませて黙らせていました。最悪だったのは、当時の東大の研究グループ。米国に『機密情報だから公開するな』と口止めされ、収集した研究データを米国に送っていたのです。
グループの中心人物はその後、日本の被曝研究の責任者になりました。
これでは、日本で『内部被曝』はもちろん、放射線障害の研究が進むはずがありません」


●米国が非難範囲を半径80キロに設定した理由

「福島原発の事故で、政府が『直ちに影響はない』との説明を繰り返したのは『無知』だからです。政治家、官僚ともに戦後生まれ。『内部被曝』を否定する米国との安保条約にも配慮したため、日本では放射線障害について勉強する場がありませんでした。このため、米国と日本では事故の対応が異なるケースがあります。例えば、米国は今回、避難範囲を原発から半径80キロに設定しました。これはかつて、米・統計学者が50年間に及ぶ膨大なデータを整理した結果、『原子炉から160キロ以内で乳がん患者が増えている』との報告書を根拠にしたからとみています。私も半径50キロ以内の住民は全て避難させるべきだと思っていますが、日本政府は半径30キロのまま。『無知』な上、これまで『心配ない』と繰り返してきたから、今さら変えられないのでしょう。原発の『安全神話』が足かせになっているのです」

事故からすでに100日以上経ったが、状況は何一つ改善していない。
「原発は大事故を起こさなくても、毎日、湯気や排水で放射性物質を出し続けています。政府はICRP(国際放射線防護委員会)などの基準内だから安全というが、基準ができたのは四半世紀も前で、当時と比べてどんどん緩くなりました。厳し過ぎると原発が造れない、電気代が上がる、儲からない、というのが理由です。基準の厳格派は次々に買収されました。ちょうど、電力会社がメディアに広告費を出し、安全を強調してもらう現在の構図と同じです」


●少量の被曝でも影響がでる怖さ

「福島では住民の健康調査が始まるようです。対象の住民は行政機関に登録させ、手帳を持たせ、しっかりとした健康管理、追跡調査を行うべきです。本当はもっと早く始めるべきでした。倒壊家屋などのデータはすぐに数値として収集、発表されるのに、住民の健康に関するデータ収集をしない理由が全く分かりません。将来の『内部被曝』の影響は分かりませんが、広島の場合、およそ3年後に体が疲れやすくなる原因不明の『ブラブラ病』患者が出始めました。白血病の患者も3年ほど経ってから確認され、7~8年後にがん患者が目立ち始めました。『内部被曝』は少量の放射性物質でも影響が出る。ここが恐ろしいところです。人間だけではありません。放射性物質は動植物すべてに影響を与えるのです。福島原発の事故は、大気中だけでなく、海にも大量の放射性物質が放出されました。今後、一体どんなことが起こるのか。世界が固唾(かたず)をのんで見ています」


転載終了

2012年1月10日火曜日

原発がどんなものか知ってほしい(全)2/2

さて2回目の転載となります。

事故後の政府関係者や政府からの放射線安全広報受注事業者などからは、「事故がおきても放射線は安全」と喧伝しています。NETでも危険VS安全の二項対立が続いていますね。

事故を起こさない前から、「安全」といっているにもかかわらず、原発とともに被曝者は存在し、病死していたんですね。もちろん地域では白血病の不安がずっと続いているんですね。事実として「公衆被曝は年間1mSvという国際合意内の」放射能もずっと漏れていたんですね。しかし困ったことに、漏れていたことは事実ですが、どの程度なのかはよくわからず「年間1mSv」でさえもオーバーしていたかもしれないですね。

そういった事実を踏まえた上で、それにもかかわらず、「安全」としていた歴史があるのですね。
「安全」喧伝は、事故前の平時からでもおきていて、事故後でも起きていることに注目ですね。

いかがわしいですよね。原発事故とともに、「いかがわしさ」も炸裂したんでしょうね。

そんないかがわしいもの、無いに越したことは無いということが、私の主張ですね。
現在の状況は、「大人から子供までの放射線量を原発作業員とほぼ同じ扱いにしたい」ということなんでしょうか?

事故前の平時では、原発誘致自治体に補償金がいろんな形で存在したようです。年間1mSv被曝の代償代ですね。
そういった歴史を踏まえて、原発事故後年間1mSvの被曝に納得できない方には、原発誘致自治体と同じだけの補償金を支払うべきでしょうね。納得して初めての年間1mSvですから、いやおう無く浴びせられたあげく、「放射性物質は無主物」だとか「移住は勧めない」とか「汚染地に帰還」などとはお茶がへそで沸いてしまいます。

貧乏で奴隷的な扱いを会社で受け続けてきた僕は、年間1mSvであれば、ロシアのリクビダートルと同じ扱いなら納得しても良いかなって思ってしまいます。


以下転載初め

普通の職場環境とは全く違う
放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。

稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。

「絶対安全」だと五時間の洗脳教育
原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。

原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。  

こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。

私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。

私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。

だれが助けるのか
また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。

一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。

びっくりした美浜原発細管破断事故!
皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。

そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。

チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。

この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。

原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。

もんじゅの大事故
去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。

ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。

どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。

どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。

動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。

しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。

普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。

日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。

そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。

日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。

日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。

世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。

いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。

日本には途中でやめる勇気がない
世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。

もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。

どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。

とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。

原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。

廃炉も解体も出来ない原発い
一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。

具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。

この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。

机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。

結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。

最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。

また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。

それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。

「閉鎖」して、監視・管理
なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。

先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。

放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 

今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。

しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇~八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。

これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。

どうしようもない放射性廃棄物
それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。

しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。

現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。

もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。

原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。

私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。

それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。

住民の被曝と恐ろしい差別
日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。

原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。

ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。

この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。 こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。

原発がある限り、安心できない
みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。

それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っていあす。

原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。



優しい地球 残そう子どもたちに

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筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。


以上
転載終了

2012年1月9日月曜日

【引用記事】震災後 : 泣きながら去る人たち – 移住してくる人たち

以下引用です
(引用初め)
震災後 : 泣きながら去る人たち – 移住してくる人たち
http://onaironaironair.wordpress.com/2012/01/08/%e9%9c%87%e7%81%bd%e5%be%8c-%e6%b3%a3%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%8c%e3%82%89%e5%8e%bb%e3%82%8b%e4%ba%ba%e3%81%9f%e3%81%a1-%e7%a7%bb%e4%bd%8f%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%8f%e3%82%8b%e4%ba%ba%e3%81%9f/
By onaironaironair
今日いくつか記事を読んで、その中の2つの記事が、見事に真逆の例を現してた。

1つの記事は、フランス語で、もう1つは日本語の記事。

まずは、フランス語の記事から。

ラ・レピュブリック(訳すと、新共和国っという意味)というネットサイトHPに掲載されて、た今日2012年1月8日付の記事(インタビュー)で、タイトル = 「私にとって、日本は終わった」。

あたしの訳でよければ読んでぇ。

ラ・レピュブリック紙 2012年1月8日

「私にとって、日本は終わった」

福島付近でフランス語の教師だったサカグチ・ハルコさんが、ヨーロッパ・エコロジー・緑の党の招待で、サン・ジェルヴェにて自身の原発体験談を語った。

日本でフランス語の教師をしていたサカグチ・ハルコさん、新しい職を探す予定。(写真=セバスチャン・ゴウダー)

福島の震災が発生した3月11日、あなたは直ぐに避難されたのは何故ですか?

大々的ではありませんが、反原発活動をしていたので、原発の危険性は知っていたんです。2010年10月、MOX燃料が運び込まれる際には、福島市役所の前で抗議行動を行ったんですが、参加してたのは、たったの6人だけだったんですよ! 私たちの家は、三春町で原発からは45キロ圏です。震災後、直ぐに東京へ向かったのですが、ここにも放射能はやって来るだろうということは分かっていました。フランス人の夫と、4歳の娘のことを想い、大変辛い思いをして、やはり避難することを決意したんです。私たちは友達も家族も残して避難をし、娘は日本のことを大変懐かしく思っています。やはり、(辛く思えるのは)あそこに、もう戻って暮らせないという、それが原発の危険性なんです。水、それから食べるものすべて、汚染されてるんです。でも、多くの日本人たちは、その危険性に気がついてないんですよ。

そして今、こうしてフランスで生活を始められていますが、フランスも原発国、怖くはないですか?

ここは、日本と違って地震による危険性がありません。でも、フランス人たちが反原発連帯感を示すのは正しいことだと思います。皆の問題ですし、世界では既に3回も大きな原発事故があったわけで、他にも規模は小さくてもありましたよね。それでも、政府は未だ頑固に危険ではないと言っているんです。わたしは日本が必ず脱原発すると信じています。この4月には実際に、全ての原発の稼動が一時的に止められるんです。昨年9月には、日本では大変異例の東京で6万人が集まるという反原発デモが行われました。問題が出始めてくると、いよいよ福島原発事故による怒りは大きなものになると思います。フランスが脱原発をしてくれると幸せです、が、もし脱原発へ向かわないのであれば、家族で別の場所で暮らすことも検討します。

その後、日本へは戻られましたか?

はい、昨年の夏に。大変でした、何をするにも、コップ1杯の水を飲むにも、心配でした。私たちは、大変美しく、とっても快適な地域を離れたんです。でも、隣近所の人が招いてくれた際に、そのお宅の庭で育てられたスイカを出されたんですね、私たちは、どうしていいのか分かりませんでした。放射能はそこら中に拡散し存在するんです、日本のどこへも戻るつもりはありません。それは、戻ることのできない片道の出発となったのです。

インタビュー = ベアトリス・ボサー

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次に日本語の記事ね。

産経ニュース 2012年1月5日

「こっちの方が住みやすいみたい」福島移住の長谷川さん一家

震災後、福島県昭和村に移住した長谷川さん一家(玉嵜栄次撮影)

白い山肌を背に、おかっぱ頭の赤ん坊は父親の腕の中で元気な笑い声を上げた。東電福島第1原発から西へ120キロの福島県昭和村。東日本大震災後に千葉県市川市から移住してきた長谷川洋(ひろし)さん(39)の長女、美(み)桜(お)ちゃん(1)にとって、大雪に覆われた奥会津のこの山村が「故郷」となる。

「この子が生まれなかったら、ここに来なかったかもしれない」

震災前まで東京都内で家具職人をしていた。「農業をしたい」と母の故郷、昭和村を選んだ。自身も会津若松市の出身だが、移住を強く望んだのは、むしろ東京で生まれ育った妻の規(き)予(よ)美(み)さん(41)だった。

規予美さんは結婚8年目にして授かった美桜ちゃんを「大自然の中で伸び伸び育てたい」と望み、平成22年9月、出産を前に移住を決めた。ところが、震災で状況は一変した。

長谷川さんは、新聞やインターネットで放射線量を繰り返し確かめた。「この子が将来、福島で育った女だからという理由で、結婚に支障が出たりはしないだろうか…」。夫婦で1カ月間、話し合った。

「30年も先のことがどうなるかなんて、考えたって分からない。このままでは故郷の福島が駄目になる」

長谷川さんは「やっぱり行こう」と告げた。規予美さんはうなずいた。「向こうの雪が解けたら、引っ越しだね」

農村への移住を支援するNPO法人「ふるさと回帰支援センター」によると、福島県は震災前まで3年連続で首都圏から移住したい都道府県のトップだった。例年30家族ほどあった移住者は、震災にもかかわらず昨年も15組前後に上る。

相談員の星久美子さん(28)は「福島はもともと受け入れに力を入れてきたのに加え、震災前に移住を決め、考えを変えなかった家族が多かった。住民となって役立ちたいという家族もいた」とし、続けた。

「人口流出が続くこの時期にあえて福島に移住する人は、将来を真剣に考え抜いた人が多い。彼らは地元の人たちを勇気づける存在にもなっている」

東京都江戸川区の小村愛(よし)枝(え)さん(27)は震災4日後、婚約者の小林正典さん(41)と就農のため、第1原発の40キロ西にある二本松市の山間部に移り住んだ。

運送会社で働いていた2人は深夜帰宅が続く日々だった。郊外に借りた菜園で野菜作りをしていたが、次第に農業への思いが募り移住を思い立った。2人とも福島県に縁はない。北海道や山梨県なども考えたが、試しに訪れた二本松で、人々が親身に相談に乗ってくれたことが決め手になった。

震災直後の混乱の中、栃木県の黒磯までJRで行き、あとはヒッチハイクと自転車で向かった。一泊した郡山市で愛枝さんは実家の母親に電話を入れた。

「なにもこんな時期に行かなくても。ばか娘…」

心配する母の声に思わず涙がこぼれた。傍らにいた正典さんは「一緒に頑張ろうな」と励ました。2人は4月に入籍し家族となる。

長谷川さん一家、そして愛枝さんと正典さんは現在、それぞれの春に向けて農作業を学んでいる。愛枝さんたちは長靴履きにジャージー姿で、白菜や大根の栽培を手伝っていた。

正典さんは「ここで生きる以上、放射能は切り離せない問題だ。二本松はこの9カ月が底だった。後は上向いていくだけと前向きに考えたい」と話す。

昭和村の長谷川さん一家も、昨年4月に移住してから初めての冬を迎えた。農作業ができないため、長谷川さんは村役場の仕事として除雪車に乗っている。

規予美さんは、自宅から1・5キロほど離れた診療所に検診のため美桜ちゃんをおぶって歩いたことがあった。同年代の女性が、診察が終わるのを待って自宅まで車で送ってくれた。

規予美さんは「人の温かさというのかな。こういう気持ちを忘れていたような気がする」と話す。

震災直後、首都圏の人々は生活必需品を奪い合い、スーパーやコンビニ店の棚から水のペットボトルが消えた。規予美さんは粉ミルク用の水が手に入らず、市販の氷を溶かして使った。

「村に来てみると、逆に困っている人に水を分けていた。私にはこっちの方が住みやすいみたい」

雪解けの4月、一家は村の特産であるカスミソウの植え付けに取りかかる。7月になれば新しい故郷は小さな白い花々で覆われる。

(玉嵜栄次)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120105/dst12010521460010-n1.htm

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以下、ラ・レピュブリック紙の記事まんま置いておくううう。

La Nouvelle Republique – 08/01/2012

” Le Japon pour moi c’est fini “

Haruko Sakaguchi, professeur de français près de Fukushima, témoignait hier sur son vécu du nucléaire à Saint-Gervais, invitée par Europe écologie les Verts.

Haruko Sakaguchi enseignait le français au Japon et espère retrouver un travail. – (Photo NR, Sébastien Gaudard)

Vous êtes partie dès la catastrophe de Fukushima le 11 mars dernier, pourquoi ?

« J’étais au courant des risques nucléaires, puisque je militais timidement contre. En octobre 2010, nous avions manifesté devant la mairie de Fukushima contre l’arrivée du mox, mais nous n’étions que six à nous relayer ! Notre maison était à Miharu, à 45 km de Fukushima ; nous sommes immédiatement partis dans la région de Tokyo mais nous étions conscients que les dangers des radiations allaient jusque-là. Mon mari étant français, nous avons fait le choix très douloureux de partir, pour notre petite fille de 4 ans. Ma fille a une grande nostalgie du Japon, nous avons laissé nos amis, ma famille. Et surtout nous savons que nous ne pourrons plus jamais y retourner, c’est ça le risque nucléaire. L’eau, tout ce qu’on mange est contaminé. Mais la plupart des Japonais ne se rendent pas compte du danger. »

Vous vivez depuis en France qui est aussi un grand pays nucléaire, cela ne vous effraie pas ?

« Ici il n’y a pas le risque sismique qui est réel au Japon. Mais les Français ont tout à fait raison de se mobiliser contre le nucléaire. C’est une menace générale, il y a déjà eu trois catastrophes majeures à travers le monde, et beaucoup d’autres moins importantes. Et pourtant la même obstination des gouvernants à dire que ce n’est pas dangereux. J’ai l’intime conviction qu’au Japon, on arrivera à en sortir. Nombre de réacteurs ne sont désormais plus en fonction et en avril, tous les réacteurs seront provisoirement arrêtés. En septembre dernier il y a eu 60.000 manifestants à Tokyo ce qui est énorme pour le Japon. Et je pense que la colère due à Fukushima va grandir quand les conséquences vont commencer à apparaître. Je serais heureuse que la France se désengage, et si ce n’est pas le cas, j’envisagerais peut-être avec ma famille d’aller vivre ailleurs. »

Êtes-vous retournée au Japon depuis ?

« Oui cet été. C’est terrible, on se pose des questions énormes avant de boire un verre d’eau. C’est une très belle région que nous avons quittée, où nous faisions partie d’une communauté très sympathique. Mais quand des voisins nous ont accueillis avec la pastèque qu’ils venaient de cueillir dans leur jardin, on ne savait plus quoi faire. Les radiations sont partout et je ne retournerais vivre nulle part au Japon. C’était un départ sans retour possible. »

Propos recueillis par Béatrice Bossard

http://www.lanouvellerepublique.fr/Loir-et-Cher/Actualite/Environnement/n/Contenus/Articles/2012/01/08/Le-Japon-pour-moi-c-est-fini

(引用終わり)

コメント

今後も放射能はなくならないであろうが、考え方が変わってくるだろう。
現在は上記のように二極化されているが、今後は子供が成長し、結婚し、また子供を授かり、そして世代を作っていくことになる。

多分、影響により多様な状態の人が生まれるはずである。
今後福島は、生まれてきた県民を用い「どんな人間だって生きてゆくことは平等だ」とする論が張られ、「被曝者差別」をあおる自治体になるだろう。
そういった一方的な方向性を持つ強い言葉を用い、困惑に乗じて補助金利権を獲得するのは、被害者自身ではなく、その受け口である自治体と入札業者のためなのだという事実は、過去から見られる(ダムなどの土木、バリアフリー、住宅などの建設補助金利権)。
要するに福島県は、国より多額の補助金を獲得できる大義名分を得、県民の為と称しながら放射能独占事業を行うことになる。

お金がかかることは当たり前だが、補助金目当てに弱者を利用するのが腹立たしい。

実際、それら補助金が実際の県民に直接的に満遍なく効果を表すものかどうかは、やはり過去の事例から首をかしげることになる(放射能は毒物であり、反対があったにもかかわらず強引に誘致した自治体責任も含めて、原発爆発でいやおう無く撒かれたという視点から、医療費全額免除、土地建物等固定資産税全額免除、インフラ公共税免除、農林水産物買取補助など行われるのだろうか?)

一方別な問題もある。
それは放射能影響データだ。
得られたデータは、日本に公開されるのか?
県民の実態は、日本・世界の論文に公表されるのか?
思惑にまみれた論文が、検閲ごとく黒インクで塗りつぶされたまま、日本国民に公表されるのが予想できるだろう。

福島は責任として今後県民を、県を挙げて医療費、税金、生活費、インフラ、就職などを面倒見るのだろうか?

そういったことも含めて、移住を検討するべきだろう。
皮肉的言い方を敢えてすれば、増税せず現状の税収入の中でのやりくりで、県民全員を全部県・国が面倒見てくれて、お金でさまざまな問題を解決してくれるならいいなぁと思えば、移住もいいと思う。
国土の維持という面からもそれをするべきだろうし、それこそ放射線汚染物資を全国に撒くより、よほど国民で痛みを分かち合うことではなかろうか。

(かつて、チェルノブイリのルクビダートルは、医療費永久無料・高額年金・英雄扱いであったが、その後分国化したため、それぞれの国で財政負担が膨大になり破綻しかけている。また放射能の影響は代々と続いている)

今のところ、放射能による病気の危険は確率的なのが、科学的事実なのですから。
と思う今日この頃である。