2012年1月28日土曜日

関東の震災リスクが高まっているように見える

どうやら風雲急を告げてきたようだ。

過去の関東大震災時、関東内陸での地震が震災の前震だった。

とうとう本日、それと思われる地震がおきた。

今後関東を訪問する際は、よっぽどの事態を想定し装備品を固め、避難経路を事前に検討し、徒歩で脱出するくらいの気構えが必要だろう。







脱出用備品は、各自必要なもの自分で決めること


以下は自分の資料用としてメモである。ーーーーーーーーーーーーーー

食料は3日分を目安に氷砂糖や飴・ドライフルーツ・蜂蜜などバッグにしのばせる。ビスケットなどはのどが渇く事を念頭に置く。水は1日2リットルと言われるが、無補給時のために必ず1リットルはバッグに入れておく。

震災直撃の可能性の高い場所に住む方は、貴重品は持ち歩くのも検討する(福島では窃盗団が暗躍し、被災家屋から金庫・現金・家財・車が盗まれたし、銀行・ATM・宝飾・時計店は荒らされた)。

生理用品も多めに用意。女性は催涙スプレーを持つとより安心。

必要時に無いと困るので、MAP(あれば自治体作成避難マップ)・缶切り・ナイフを準備する。

携帯ラジオ・新聞紙(防寒と燃料用、毎日購入するのを心がけよう)を準備する。

釘などの踏み抜き防止に底の厚い靴や、踏み抜き防止インソールの利用を心がける。

保存の利くエネルギー源は必須だが、自分ひとりの積載量はそれほど無い。あれもこれもは避ける。

自販機は破壊されているか、中身は無いと思うこと(あればラッキー)。

コンビニが開いていれば購入する。しかし火の手が上がれば、購入するために並ぶことはできない。潔く逃げる必要がある。

水の供給は思った以上にあると思われるので、防災拠点である役所などの場所を覚えておくと良い。

ーーーーーーーーーーーー以上

残念ながら、首都には1000万の食料など1日も存在しない(物流で時間ごとの配送で成り立っている)し、役人は自分らの食料の確保を優先する(東京の知事・痴事・恥事は石原だぜ?)。

福島の事例を見て判るが、義援金は被災者には決して届かず、どこに行ったか不明とさせられる(新聞が原因を突き止めた事例は無い。不明を報道した事例はある。きっと役人や議員に取り巻く集団がほしいままにしたんだろう)。







@eqbot地震速報

#地震 NHK 01月28日07時43分 山梨県東部・富士五湖maps.google.co.jp/maps?hl=ja&iwl… 35.5N 139.0E 18km M5.4www3.nhk.or.jp/sokuho/jishin/…震度5弱 忍野村 富士河口湖町

27分前 eqbot/地震速報からお気に入りに登録 リツイートの取消 返信






@eqbot地震速報

#地震 NHK 01月28日08時04分www3.nhk.or.jp/sokuho/jishin/…震度3 神奈川西部 山梨東部・富士五湖

2時間前 eqbot/地震速報からお気に入りに登録 リツイート 返信







@eqbot地震速報

#地震 NHK 01月28日09時22分 岩手県沖 maps.google.co.jp/maps?hl=ja&iwl… 40.2N 142.5E 40km M5.6www3.nhk.or.jp/sokuho/jishin/…震度4 八戸市 普代村

48分前 eqbot/地震速報からお気に入りに登録 リツイート 返信







@eqbot地震速報

#地震 NHK 01月28日09時39分 長野県南部 maps.google.co.jp/maps?hl=ja&iwl… 35.9N 137.6E 10km M2.4www3.nhk.or.jp/sokuho/jishin/…震度1 木曽町

39分前 eqbot/地震速報からお気に入りに登録 リツイート 返信
以上








【動画】被曝医師・肥田舜太郎さんが語る『真実の原子力』

この動画はぜひご覧になってください。
http://www.youtube.com/watch?v=3p73GY19ZrY

肥田 舜太郎氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%A5%E7%94%B0%E8%88%9C%E5%A4%AA%E9%83%8E
肥田 舜太郎(ひだ しゅんたろう、1917年 - )は、日本の医師、医学博士。広島市への原子爆弾投下により自身が被爆しつつ、直後から被爆者救援・治療にあたった。以来被爆者の診察を続け、被爆の実相を語りつつ核兵器廃絶を訴えている。

経歴
広島市生まれ。中津川肥田氏の肥田帯刀17代目にあたる。

1943年、日本大学専門部医学科卒業。1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。1945年8月6日、原爆に被爆、直後から被爆者救援・治療にあたる。広島陸軍病院の山口県熊毛郡伊保庄村への移転にかかわり、1945年12月の厚生省への所管替えに伴って国立柳井病院(現独立行政法人国立病院機構柳井病院)に所属。

1940年代終わり頃、広島に検査だけして治療はしない病院(原爆傷害調査委員会:ABCC)がつくられるとの噂から、依頼を受けて、治療もするようにと厚生大臣や連合国軍総司令部と交渉。結局断られ、理不尽な占領軍の傲慢さに憤って、アメリカの無法と闘うため占領権力に真正面から立ち向っていた日本共産党に入ろう、と決心し入党した。この頃、東京都杉並区、のち埼玉県行田市で、労働者や貧しい人のための診療所をつくる運動に参加。[1]

1953年、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)創立に参加。1956年、行田市議会議員選挙に日本共産党から立候補、3位で当選[1]。全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院院長、日本原水爆被害者団体協議会原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。1975年以降、欧米を中心に計三十数カ国を海外遊説、被爆医師として被爆の実相を語り、核兵器廃絶を訴えた。2005年、イギリスBBC製作のドキュメンタリー"en:Hiroshima: BBC History of World War II"に、また、2006年、ドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』(アメリカ合衆国、2007年公開)に出演して、インタビューに答えた。

被爆患者の臨床をふまえて、「原爆ぶらぶら病」とよばれる症状や、内部被曝、微量放射線・低線量被曝の健康影響について研究し、その危険性について述べた。のべ64年間、6000人を超える被爆者の診察を続け、2009年、医業から引退。[2]現在、全日本民医連顧問。

2011年3月の福島第一原発事故後、放射線の健康影響について発言している。

【転載記事】内部被曝の恐怖【後編】「日本の医学界が被曝の影響を無視してきた理由」

http://nikkan-spa.jp/116117より転載

広島市への原爆投下により、自身も被爆した医師・肥田舜太郎氏。
原爆を投下された日本で、放射線被曝の研究が進まなかった理由をこう語った。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

◆原爆の長期的な影響は、米国の「軍事機密」として隠されてきた




出征時の肥田氏。’44年に軍医となり広島陸軍病院に赴任、’45年に自らも被曝し、その後被曝者の救助にあたった
日本の医学界は、放射線被爆の長期的な影響をずっと無視してきました。なぜそうなったかと言えば、広島・長崎に原爆が落ちてすぐ、日本が降伏して米国の軍隊が占領し、総司令官が統治を始めました。そして「米国の軍事機密」だとして、原爆の影響について研究したり論文を書いた
り、学会で論議したりすることを禁じたからです。

その後、日米安保条約が結ばれ、米国の「核の傘」に守ってもらうために「被爆の実態は軍事機密」としておかなければならない時代がずっと続きました。ですから、日本人は広島・長崎の原爆による影響として、どんな症状が出て、何人死んだのかという長期的なデータを持たずにきたのです。

日本政府は米国が「してはいけない」と命令したから、何もしなかった。被爆者が苦しんでいるのに、政府はまったくおかまいなしでした。そして占領軍が帰って5年後の1950年に、原子爆弾被爆者の医療に関する法律をつくり、本人が申し出た場合だけ「被爆者手帳」を発行するようになりました。

でもこれは、年に1回無料の健康診断をするというだけのものでした。多くの人にとっては、結婚とか就職とか生命保険に入るときとか、いろいろな場面で被爆者として差別されるようになってしまった。長期被曝の影響を受けたと思われる人が、名乗り出づらい風潮ができてしまったのです。そのうち、日本人は誰も原爆の問題で騒がなくなりました。

ソ連でも、チェルノブイリの患者を精密に調べた医師(バンダジェフスキー博士)が、「放射線の影響で心筋梗塞になりやすい」ということを論文に出しました。すると、政府の「放射線は無害」という方針に反したとして、別の冤罪で捕まって逮捕されるというような時代がありました。ソ連も核兵器を持ち続ける必要があったからです。

福島原発の事故でも、長期的な被曝の影響が心配されます。私が広島・長崎で診てきた症状が、先々に出てくる恐れがあります。

きちんと治療と補償が行われるためにも、「軍事機密」として調査を行わなかったかつての過ちを繰り返してはならない。私たちは政府や東電に徹底した情報公開を求めたうえで、正しい知識と効果的な対処法を身につけていかなければならないと思います。


被爆者に対して、わかりやすく解説された「被爆者健康ハンドブック」。保険や補償の話から、長生きするための日常生活の心得に至るまで、詳しく書かれている
【肥田舜太郎】
’17年広島生まれ。医師。広島市への原爆投下により自身が被爆、その後被爆者の救援・治療にあたる。臨床体験をふまえて「原爆ぶらぶら病」と呼ばれる症状や、内部被曝、低線量被曝の影響に関する研究にも携わった。

撮影/大西史恵 取材・文/北村土龍

転載終了

2012年1月21日土曜日

健康被害が出ない意味(これからは新風土病とするのかなw)

気になったブログがあるので引用をして、コメントをする。

以下引用開始ーーーーーー
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/e918640b13e6c6efbde3fecedd0b4550#comment-list

”御用学者”池田信夫大先生が高らかに宣言 「福島で健康被害は出ない」
2012年01月21日 | Weblog




(転載開始)

◆福島で健康被害は出ない
2012年01月20日 09:58 池田信夫

きのうのニコ生アゴラのテーマは「放射能」。
高田純氏の現地調査による報告が中心だった。
彼の結論は「福島で健康被害は出ない」。

これは中川恵一氏の結論とも一致し、事故後に開かれた二つの放射線に関する学会でも同じ結論が出ている。
福島県の健康管理調査の結果も同じだ。

いまだに「内部被曝が恐い」という都市伝説があるが、高田氏が実測した結果でも、内部被曝は生涯線量で最大数mSv。
これも福島県の調査と同じだ。

食物によって摂取する放射性物質も無視できる程度であり、松田氏は「4月から規制が500Bq/kgから100Bq/kgに強化されるのは福島県の農業被害を拡大する」と批判していた。
「命は金に代えられない」という類の話も、今回は命に別状はないのだから問題にならない。

コメントは3万以上つき、「原発推進派の話は信用できない」という意見もあったが、松田裕之氏は「私は原発に反対だが、今回の事故では健康被害の心配はない。それより過剰避難や農産物の出荷停止による二次災害が問題だ」と明言した。
原発に賛成か反対かという価値判断と、事故でどういう健康被害が出るかという事実判断をわけて考えないと混乱する。

いま緊急に重要なのは、原発の是非論や発送電分離などの問題ではなく、すでに起こった事故の被害を最小化することだ。
チェルノブイリ事故で確認された死者は60人前後だが、30万人が強制退去を強いられ、20万人が家を失い、1250人が自殺した。
福島でも、高田氏の調べた限りでも3人の自殺者が出ている。
被災地の農家は全財産を失い、家畜も死亡した。
政府の「収束宣言」は批判を浴びたが、そういう手続きを踏まないと被災者をいつまでも帰宅させることができない、と澤昭裕氏は政府の対応を求めた。

「放射能は恐い」と恐怖をあおったマスコミも、事実がわかってトーンダウンしてきた。
「危険厨」のヒーローだった武田邦彦氏もホルミシス仮説を認め、「年5mSvまでは放射線を浴びたほうが健康になる」と言い出した。
残るのは「科学的な根拠はないが、よくわからないから恐い」という安富歩氏のような被害妄想だけだが、これも半減期は1年ぐらいだから、そのうち消滅するだろう。

おととい田原総一朗氏とも話したことだが、今回の事故で原発の新規立地は向こう10年ぐらい不可能になったと思われるので、原発推進か否かという論争には意味がない。
それとは切り離して事故の影響を客観的に評価し、健康に影響はないという事実を政府が説明するリスク・コミュニケーションが重要だ。
ただ政府が信用されていないことがその障害になっているので、科学者がもっと発言する必要がある。

GEPRでは、科学者からの投稿を募集している。


●『Global Energy Policy Research』(略称:GEPR)
公式HP:http://www.gepr.org/ja/


(転載終了)


「あまりに酷いものを見てしまってすぐに言葉が出ない」

今や”反原発派”に真っ向から異論を唱える”御用学者”の急先鋒とも言える池田信夫による上記ブログ記事を読んでの率直な感想である。

どこもかしこもツッコミどころ満載の内容で、一体どこから話してよいのかわからないが、まず目を引くのがその”キャスティング”(登場人物)である。

先日のエントリーでも取り上げた、「福島県民甲状腺がんゼロ論文」にてアパ論文大賞を見事(?)に受賞した高田純にはじまり、福島原発事故直後に”大活躍”した「東大中川チーム」の中川恵一や、「福島県」=”原発マフィア”佐藤雄平福島県知事ら”原発利権村”の住人が次々に登場し、最後に極めつけで田原総一郎の登場である。

 






これだけ見事なまでの嘘つき連中を並べ立てて、一体何を信じろと言いたいのであろうか?
あまりの”馬鹿さ加減”に失笑するよりほかないであろう。

池田信夫の手に掛かれば、「内部被曝が恐い」という主張は”都市伝説”であり、「放射能は恐い」と恐怖を煽ったマスコミは、事実がわかってトーンダウンしてきたんだそうだ。

政府・官僚・東電らの”悪行”をロクに追求もせず、真正面から原発事故に向き合わず、芸能・スポーツネタを垂れ流し、お涙頂戴の「絆(キズナ)物語」に興じるマスゴミ・マスメディアのどこをどうみれば、「トーンダウン」していると言えるのであろうか?

また、誰もその危険性を完璧に立証できていない「内部被曝」について、ただの一経済学者がその危険性を100%否定すること自体、”傲慢”な態度と断じるよりほかない話であろう。

そして池田信夫が主張する「放射能安全神話」の拠り所であるが、「大丈夫」「安全」という都合のいい意見を寄せ集めて「みんなが大丈夫と言っているから大丈夫」という、実に稚拙な内容である。

池田信夫の姿勢・主張は、都合のよい統計データだけを持ち出して己の主張を正当化する経済学者や経済評論家のお得意とする”後付けの屁理屈”以外の何ものでもないというのが個人的見解である。

上記記事の最後から2行目にて用いられているように、「客観的」と称して己の主観を展開する論法は、池田信夫のいつもの”騙しのテクニック”である。

そして最後に登場する「GEPR」とは何なのだろうかと調べてみたら、池田信夫が最近立ち上げた「日本と世界のエネルギー政策を深く公平に研究し、社会に提言するウェブ上の”仮想シンクタンク”」のようである。

公式HPを眺めてみると、またまた中川恵一といった”御用学者””御用評論家”の類が多数登場するトンでもない代物である。

どうせロクな内容ではないゆえ、各記事の中身は読んでいないが、以下に列挙したように、そのタイトルと書き出しの一節をみただけでも如何に偏向した内容であるかは一目瞭然であろう。


「原爆の被害者調査からみた低線量被曝の影響 — 可能性の少ない健康被害」(石井 孝明)
~原爆の生存者の間では低線量の被曝による健康被害がほぼ観察されていない~

「原子力発電施設等放射線業務従事者等に係る疫学的調査(第Ⅳ期調査 平成17年度〜平成21年度)」(放射線影響協会)
~2005年から2009年に20万3904人に調査をし、1人当たりの平均累積線量は 13.3mSvでした。この対象者に健康被害は観察されていません~

「高自然放射線地域住民の健康調査」(公益財団法人体質研究会)
~世界には自然高線量放射線の放射線地域があります。(中略)これらの地域で放射線による健康被害は観察されていません~

「放射線被ばく基準の意味」(中川 恵一)
~震災から10ヶ月も経った今も、“放射線パニック“は収まるどころか、深刻さを増している(中略)私なども、東電とも政府とも関係がないのに、すっかり“御用学者”のレッテルを貼られる始末~

「原子力発電のリスクと経済性の再検討」(池田 信夫)
~非常に大きな事故という印象を与えているが、放射能による死者は1人も出ていない。原発の地下室で津波によって作業員2人が死亡したが、致死量の放射線を浴びた人はいない~


馬鹿馬鹿しいのでこの辺で終わりとするが、ここまで露骨に”原発擁護”発言を繰り返し、”反原発”的論調を徹底糾弾する池田信夫という男は、「”原発利権村”の連中から一体いくら貰っているのであろうか?」と勘繰らずにはいられない人物である。

この「GEPR」なる”仮想シンクタンク”(WEBサイト)を運営し、池田信夫が代表を勤めている「アゴラ研究所」なる法人の収支構造を読み解けば、自ずとその化けの皮が剥がれよう。
(必ずや”原発ムラ”にたどり着くことであろう)

引用終了ーーーーーーー

以下コメント。

健康被害が無い理由は、診断する医者が放射能が原因とだれも明確に言えないからです。
診断書にも書かない。書けない。

だから、そりゃ増えるわけ無い。あったら偽造になる。

放射能健康被害を蓄積してきた過去が無いのに、どうやって「放射能の影響です」っていえる医者が居るんですか?笑っちゃいますよ。

基本的に、風邪のような症状がでたら、風邪薬とか処方されて、経過観察でしょう?

医者にかかった患者や、診察者に「医者がなんと言って、どんな処方をして、記録したのか」直接ヒアリングしてみてください。

科学は、後付です。

「エビデンス」とのたまう方々は、「真実は証明できなければ真実ではない」ということを言っているのです。太古から証明などできなくても、重力は存在し、物を投げればいずれ地面に落ち、海は流れ、川は氾濫し、植物は育ちそして枯れ、人は死に、宇宙は存在し、地球は丸く、宇宙に浮かんでいたし、それが今も続いているのです。

現在と、エビデンスが必要な科学者が住んでいる時間軸の違い、つまり科学者の判断に必要なのは過去なのだということを理解してください。
(科学的方法:物事を調査し、結果を整理し、新たな知見を導き出し、知見の正しさを立証するまでの手続き wikiより引用)

そういった意味で、医者も科学者も過去に生きているのですから、現在などわかりませんし、過去の放射線健康被害のエビデンス蓄積もありませんから、判ることができません。
(心では疑っていても、病名が付けれない)

だから、エビデンスを蓄積していた肥田元医師は「放射線症状だ」と判断するでしょうし、チェルノブイリでの経験のある医者も判断できるでしょう。

でも、そういった医師の意見はどうやら見逃しているようです。

どんな症状であれ、その地域に居る人が体調を崩し、病院にかかっているひとが多いのではないですか?知っていたら教えてください。
もし、原発事故後放射性物質が撒かれ落ちたその地域にだけ、特異に医師の診断を仰ぐ人が多いのであれば(症状・病名ごとの区分は考えない)何かしらの新風土病でも発生しているとして、一時的に離れるという選択も間違って無いと思います。

エビデンスが無い、だからこそ、健康被害が無いって言えちゃうんでしょうね。

原発発生後の新風土病にしちゃいましょうよ。結果が出るまで。

池田何とかをはじめとして、
健康被害が無いといった方々全員、その地域に住まわれているのでしょうか?
まさかとは思いますが、安全なところから「被害が無い・今後も無い」って言っているのでしょうか?
池田何とかが家族とともに福島の放射性物質にさらされた土地に住んで、孫の代まで何も無ければ(いろんな症状が出なければ)安全なのでしょうね。
ちなみに福島のある首長の家族は逃げてますし、東電社員や、公務員まで逃げてますし、枝野は完全防護で福島を訪問してますけど非難した?
最悪首都避難を検討した政府を「放射能被害は無いから逃げる必要が無い」と非難した?してる?

それを見ても、池田何とかの類は、信用に値しない妄言だと理解できよう。



2012年1月20日金曜日

【動画】ザ・コーポレーション

私は思うのだが、アメリカがあれほど疲弊しているのになぜアメリカが過去行ったような政策をしてゆかなければならないのだろうか?
ある意味、アメリカの政策は間違いではなかろうか?
大企業による社会蹂躙、愚民政策、人工的景気変動、金利、マネーコントロールなどなど。

本来であれば国民や地域社会への貢献すべきもの・ことを、全て資本家のために還元する。
そういったことで社会は疲弊(近代的ビルの隣にバラックが立ち並ぶような)させ、収奪してきた歴史をなぜ見ないようにするのか?

本当に、誰のためなのかが、良く判る現代である。
時には、殴る強さも必要なんだと思います。

そんな企業の「性格」に関するドキュメンタリー(2003年)です
http://www.youtube.com/watch?v=NE5arj1B7mk&feature=related

2012年1月19日木曜日

【転載記事】内部被曝の恐怖【中編】「放射線に対抗する唯一の方法は?」

http://nikkan-spa.jp/119088より転載
「被曝をできるだけ少なくするために、『原発からとにかく遠く逃げろ』とか『汚染されてない食べ物を食べろ』などと言われています。でも、遠くに逃げても生活できて、汚染されていない食べ物を調達できるというのはごく一部の人々です。ほとんどの人々は、放射能汚染されたこの日本で生きざるをえない状況になっています」と語るのは、広島市への原爆投下により自身も被爆した医師・肥田舜太郎氏。それでは、今後どうやって放射能から身を守ればよいのだろうか? 肥田氏に聞いた。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

◆放射線に対抗する唯一の方法は、生まれつき持っている免疫力を弱めないこと

私は、「自分で自分の身体を守るしかない」とはっきり言います。特別な方法はありません。「放射線に対する免疫力を弱めないように、健康に生きる」という、この一点につきます。

人間の祖先は40億年前にこの地球上に現れてから、紫外線と放射線でどんどん死んでいきました。奇形もどんどん生まれていった。しかし、長い年月を経て進化を続け、放射線に抵抗できる免疫をつくってきました。その結果、いま紫外線や放射線の影響を受けても、地球上で毎年生まれれる新生児10万人のうち、1人くらいの奇形が生まれるレベルにまで免疫を高められたんです。

ですから、放射線に対抗する手段は、これまでの「動物としての人間の生き方」に学ぶしかない。夜更かしして夜遅くまで遊び回るなんて、せいぜいここ数十年のもの。その前は太陽とともに寝起きしていました。いちばん大事なのは「早寝早起き」です。そうしないと、先祖から引き継いできた免疫力が低下してしまいます。

それから、食べ物の食べ方。日本人の主食はコメですが、よく噛まない人はその8割9割を便として排出してしまっています。これは、口の中で唾液中の酵素ジアスターゼとコメが十分交わらずに腸がうまく吸収できないためです。ですから「食事のときによく噛め」というのは、人間の免疫力を保持するための鉄則なんです。免疫という意味で言えば、味噌や梅干しなど、日本の伝統食品である発酵食品が放射線から守ってくれるというのも頷ける話です。

人間は6つのことしかできません。睡眠、食事、排泄、働く、遊ぶ、セックスです。この一つ一つに、健康に生きていくための法則がある。これは広島・長崎の被爆者を長生きさせるために、被爆者と一緒に研究し、実践してきたことで得た教訓です。誰にどんな影響がでるかわからないからこそ、免疫力を保持し、健康を守って生きるしかないのです。

多くの学者はそのことを言わない。「年間何ミリシーベルトまでなら安全です」と言うだけです。内部被曝を受けていれば、先々は安全かどうかなんて誰にもわからない。彼らは「わからない」ということを認めたくないのです。

⇒【後編】に続く http://nikkan-spa.jp/116117
日本の医学界が被曝の長期的な影響を無視してきた理由とは?

【肥田舜太郎】
’17年広島生まれ。医師。広島市への原爆投下により自身が被爆、その後被爆者の救援・治療にあたる。臨床体験をふまえて「原爆ぶらぶら病」と呼ばれる症状や、内部被曝、低線量被曝の影響に関する研究にも携わった。

撮影/大西史恵 取材・文/北村土龍

転載終了

2012年1月17日火曜日

内部被曝との対峙

内部被曝についての考察

琉球大学 矢ヶ崎克馬教授の考察です
PDFですが、ご覧ください。

http://www.cadu-jp.org/data/yagasaki-file01.pdf

実際、どれほど摂取したのかわからない。
なので、今後も食事には神経を使うべきである。
本来であれば、福島近辺の放射性物質の移動を禁止すべきであったが、政治経済界の要望により国内流通を選択したのが始まりである。

基本は、牛乳など乳製品、お茶、魚介類、平成23年度産の東北地方の玄米、きのこ類の摂取を控えることである。放射性物質は「無いに越したことは無い」のが根本として必要だとおもう。

それでも、防ぎようが無いのはあらゆる製品に多様な原材料が使われており、その全てを把握できないためである。住生活全てにおいて放射性物質ゼロの徹底が不可能に近いことを事実として認識することも必要ではなかろうか?

しかしフィチンを初め、放射性物質を排泄するに役立つ物質が、自然界には多く存在する。
またビタミンCを摂取し、フリーラジカルの抑制をし続けるのも防御の一つである。
後は過度のストレス状態からの脱出も、放射性物質の被曝防御に役立つ。

にこやかに生活することがもっとも体に良いことは、肥田教授もおっしゃって居る。
体内に摂取しても、量が少なく排泄、除去ができ、かつビタミンなどで体を補修しながら、楽しく居来ることがいいのだと思う。

もちろん、だからといって放射性物質が無害だといっているわけではないし、摂取を薦めることはしない。放射性物質はあくまでもゼロが目標であり、ゼロ徹底が実質不可能に近いが為の自己防御手段である。

対策の施しようの無いものは自衛しかないと言っているのである。

食品以外の自衛としては、平成23年度以降の生産物は工業品も含めてよく考えないといけないということだ。

放射性廃棄物ともいえるほど汚染された被曝地の車を盗み、まっとうな中古自動車として販売しているやくざな業者が他業種にわたっていることを念頭に置かなければならない。
リサイクル品、木材、肥料、庭園産品、キャンプ場、釣堀など地域を選ぶ必要があるだろう。
コンクリートになってしまえば、もう追えないので、震災後の新築物件は要注意である。
また、工場からの産品は、生産後もしくは仕入れ後に野積みされるものがある(コンクリート製品、車、鋼材・プラスチック原料、鋼材・プラスチック製品、電線、木材、土砂、建築資材、園芸用品など多種多様なもの)し、移動の際に汚染される可能性がある。

知恵を絞って生きてゆくことになろう。

2012年1月12日木曜日

【転載記事】元広島陸軍病院医師 肥田舜太郎氏が警告

今、放射線の危険性(特に内部被曝)と原発の廃止を訴える方々は、
元広島陸軍病院医師 肥田舜太郎氏を初め、
京大 小出助教授、
琉球大 矢ヶ崎教授
ジャーナリスト 広瀬隆氏
でしょうか?
もちろん他にもいらっしゃることと思います。

中部大 武田教授は廃止よりも「1mSv/yの国際合意を守れ」という立場で「合意を勝手に無視するのは危険だ」とし、放射線そのものが危険というわけでなく「もう少し合意を変えたら?」という主張ではないかなと思います。

実は日本には何千と同じ医師やジャーナリストが存在しますが、なぜこの事態になって黙っているのでしょうか?

もちろん多くの人が、そのことに気づいていることと思います。だからこそ黙って関東から人が移動し、日本から黙って出てゆく人がいるのでしょう。

きっと日本人は、議論が存在すればするほど、議論から離れているのではないでしょうか?

議論で修復できない今までの関係になってしまうと危惧するのでしょう。
もちろん、その心配は十分に理解できます。

デモでも、暴力でもなく、粛々と法にのっとって、直感で黙って判断し、行動する自由の行使が、市民に残された最後の「生きる術(抵抗)」と思われます。

だからこそ、何も言わずに自分の判断を信じる人が居るのだとも思います。




以下転載

◆元広島陸軍病院医師 肥田舜太郎氏が警告
2011年6月21日 掲載 ゲンダイネット

○日本で初めて「内部被曝の危険」を指摘した




●3年後の「ブラブラ病」、7~8年後の「白血病、がん」に注意すべき

福島原発事故の収束のメドが立たない中、7月にも、福島県民を対象にした健康調査が始まる。
追跡期間は30年間という世界でも例を見ない大調査だ。
特に重要なのは「内部被曝(ひばく)」の影響。
事故当初に政府が強調した「直ちに影響はない」は本当なのか。
原発周辺の県民の避難範囲30キロは正しい判断なのか――。
「内部被曝」の危険性を国内で最初に指摘し、元広島陸軍病院の軍医少尉として、被爆者の治療に当たった肥田舜太郎氏(94)に聞いた。

「原爆の直撃は受けていないのに、肉親を捜そうと、3日後や1週間後に市内に入った人たちがその後、被爆者と同じ症状で亡くなる……。初めは状況が分からなかったが、そういう患者をたくさん診て『内部被曝』を確信しました。しかし、米国は一切認めない。箝口(かんこう)令が敷かれ、情報は厳しく管理されました」

「内部被曝」の問題が表面化したのは、54年の米国のビキニ環礁水爆実験で、第五福竜丸が被曝した一件からだ。
「本当は第五福竜丸以外にも、周辺で被曝した漁船は700~800隻ありました。しかし、医師らが調査に駆けつけると、米国は既に船主にカネをつかませて黙らせていました。最悪だったのは、当時の東大の研究グループ。米国に『機密情報だから公開するな』と口止めされ、収集した研究データを米国に送っていたのです。
グループの中心人物はその後、日本の被曝研究の責任者になりました。
これでは、日本で『内部被曝』はもちろん、放射線障害の研究が進むはずがありません」


●米国が非難範囲を半径80キロに設定した理由

「福島原発の事故で、政府が『直ちに影響はない』との説明を繰り返したのは『無知』だからです。政治家、官僚ともに戦後生まれ。『内部被曝』を否定する米国との安保条約にも配慮したため、日本では放射線障害について勉強する場がありませんでした。このため、米国と日本では事故の対応が異なるケースがあります。例えば、米国は今回、避難範囲を原発から半径80キロに設定しました。これはかつて、米・統計学者が50年間に及ぶ膨大なデータを整理した結果、『原子炉から160キロ以内で乳がん患者が増えている』との報告書を根拠にしたからとみています。私も半径50キロ以内の住民は全て避難させるべきだと思っていますが、日本政府は半径30キロのまま。『無知』な上、これまで『心配ない』と繰り返してきたから、今さら変えられないのでしょう。原発の『安全神話』が足かせになっているのです」

事故からすでに100日以上経ったが、状況は何一つ改善していない。
「原発は大事故を起こさなくても、毎日、湯気や排水で放射性物質を出し続けています。政府はICRP(国際放射線防護委員会)などの基準内だから安全というが、基準ができたのは四半世紀も前で、当時と比べてどんどん緩くなりました。厳し過ぎると原発が造れない、電気代が上がる、儲からない、というのが理由です。基準の厳格派は次々に買収されました。ちょうど、電力会社がメディアに広告費を出し、安全を強調してもらう現在の構図と同じです」


●少量の被曝でも影響がでる怖さ

「福島では住民の健康調査が始まるようです。対象の住民は行政機関に登録させ、手帳を持たせ、しっかりとした健康管理、追跡調査を行うべきです。本当はもっと早く始めるべきでした。倒壊家屋などのデータはすぐに数値として収集、発表されるのに、住民の健康に関するデータ収集をしない理由が全く分かりません。将来の『内部被曝』の影響は分かりませんが、広島の場合、およそ3年後に体が疲れやすくなる原因不明の『ブラブラ病』患者が出始めました。白血病の患者も3年ほど経ってから確認され、7~8年後にがん患者が目立ち始めました。『内部被曝』は少量の放射性物質でも影響が出る。ここが恐ろしいところです。人間だけではありません。放射性物質は動植物すべてに影響を与えるのです。福島原発の事故は、大気中だけでなく、海にも大量の放射性物質が放出されました。今後、一体どんなことが起こるのか。世界が固唾(かたず)をのんで見ています」


転載終了

2012年1月10日火曜日

原発がどんなものか知ってほしい(全)2/2

さて2回目の転載となります。

事故後の政府関係者や政府からの放射線安全広報受注事業者などからは、「事故がおきても放射線は安全」と喧伝しています。NETでも危険VS安全の二項対立が続いていますね。

事故を起こさない前から、「安全」といっているにもかかわらず、原発とともに被曝者は存在し、病死していたんですね。もちろん地域では白血病の不安がずっと続いているんですね。事実として「公衆被曝は年間1mSvという国際合意内の」放射能もずっと漏れていたんですね。しかし困ったことに、漏れていたことは事実ですが、どの程度なのかはよくわからず「年間1mSv」でさえもオーバーしていたかもしれないですね。

そういった事実を踏まえた上で、それにもかかわらず、「安全」としていた歴史があるのですね。
「安全」喧伝は、事故前の平時からでもおきていて、事故後でも起きていることに注目ですね。

いかがわしいですよね。原発事故とともに、「いかがわしさ」も炸裂したんでしょうね。

そんないかがわしいもの、無いに越したことは無いということが、私の主張ですね。
現在の状況は、「大人から子供までの放射線量を原発作業員とほぼ同じ扱いにしたい」ということなんでしょうか?

事故前の平時では、原発誘致自治体に補償金がいろんな形で存在したようです。年間1mSv被曝の代償代ですね。
そういった歴史を踏まえて、原発事故後年間1mSvの被曝に納得できない方には、原発誘致自治体と同じだけの補償金を支払うべきでしょうね。納得して初めての年間1mSvですから、いやおう無く浴びせられたあげく、「放射性物質は無主物」だとか「移住は勧めない」とか「汚染地に帰還」などとはお茶がへそで沸いてしまいます。

貧乏で奴隷的な扱いを会社で受け続けてきた僕は、年間1mSvであれば、ロシアのリクビダートルと同じ扱いなら納得しても良いかなって思ってしまいます。


以下転載初め

普通の職場環境とは全く違う
放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。

稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。

「絶対安全」だと五時間の洗脳教育
原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。

原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。  

こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。

私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。

私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。

だれが助けるのか
また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。

一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。

びっくりした美浜原発細管破断事故!
皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。

そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。

チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。

この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。

原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。

もんじゅの大事故
去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。

ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。

どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。

どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。

動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。

しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。

普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。

日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。

そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。

日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。

日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。

世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。

いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。

日本には途中でやめる勇気がない
世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。

もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。

どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。

とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。

原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。

廃炉も解体も出来ない原発い
一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。

具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。

この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。

机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。

結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。

最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。

また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。

それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。

「閉鎖」して、監視・管理
なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。

先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。

放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 

今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。

しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇~八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。

これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。

どうしようもない放射性廃棄物
それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。

しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。

現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。

もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。

原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。

私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。

それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。

住民の被曝と恐ろしい差別
日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。

原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。

ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。

この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。 こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。

原発がある限り、安心できない
みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。

それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っていあす。

原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。



優しい地球 残そう子どもたちに

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筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。


以上
転載終了

2012年1月9日月曜日

【引用記事】震災後 : 泣きながら去る人たち – 移住してくる人たち

以下引用です
(引用初め)
震災後 : 泣きながら去る人たち – 移住してくる人たち
http://onaironaironair.wordpress.com/2012/01/08/%e9%9c%87%e7%81%bd%e5%be%8c-%e6%b3%a3%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%8c%e3%82%89%e5%8e%bb%e3%82%8b%e4%ba%ba%e3%81%9f%e3%81%a1-%e7%a7%bb%e4%bd%8f%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%8f%e3%82%8b%e4%ba%ba%e3%81%9f/
By onaironaironair
今日いくつか記事を読んで、その中の2つの記事が、見事に真逆の例を現してた。

1つの記事は、フランス語で、もう1つは日本語の記事。

まずは、フランス語の記事から。

ラ・レピュブリック(訳すと、新共和国っという意味)というネットサイトHPに掲載されて、た今日2012年1月8日付の記事(インタビュー)で、タイトル = 「私にとって、日本は終わった」。

あたしの訳でよければ読んでぇ。

ラ・レピュブリック紙 2012年1月8日

「私にとって、日本は終わった」

福島付近でフランス語の教師だったサカグチ・ハルコさんが、ヨーロッパ・エコロジー・緑の党の招待で、サン・ジェルヴェにて自身の原発体験談を語った。

日本でフランス語の教師をしていたサカグチ・ハルコさん、新しい職を探す予定。(写真=セバスチャン・ゴウダー)

福島の震災が発生した3月11日、あなたは直ぐに避難されたのは何故ですか?

大々的ではありませんが、反原発活動をしていたので、原発の危険性は知っていたんです。2010年10月、MOX燃料が運び込まれる際には、福島市役所の前で抗議行動を行ったんですが、参加してたのは、たったの6人だけだったんですよ! 私たちの家は、三春町で原発からは45キロ圏です。震災後、直ぐに東京へ向かったのですが、ここにも放射能はやって来るだろうということは分かっていました。フランス人の夫と、4歳の娘のことを想い、大変辛い思いをして、やはり避難することを決意したんです。私たちは友達も家族も残して避難をし、娘は日本のことを大変懐かしく思っています。やはり、(辛く思えるのは)あそこに、もう戻って暮らせないという、それが原発の危険性なんです。水、それから食べるものすべて、汚染されてるんです。でも、多くの日本人たちは、その危険性に気がついてないんですよ。

そして今、こうしてフランスで生活を始められていますが、フランスも原発国、怖くはないですか?

ここは、日本と違って地震による危険性がありません。でも、フランス人たちが反原発連帯感を示すのは正しいことだと思います。皆の問題ですし、世界では既に3回も大きな原発事故があったわけで、他にも規模は小さくてもありましたよね。それでも、政府は未だ頑固に危険ではないと言っているんです。わたしは日本が必ず脱原発すると信じています。この4月には実際に、全ての原発の稼動が一時的に止められるんです。昨年9月には、日本では大変異例の東京で6万人が集まるという反原発デモが行われました。問題が出始めてくると、いよいよ福島原発事故による怒りは大きなものになると思います。フランスが脱原発をしてくれると幸せです、が、もし脱原発へ向かわないのであれば、家族で別の場所で暮らすことも検討します。

その後、日本へは戻られましたか?

はい、昨年の夏に。大変でした、何をするにも、コップ1杯の水を飲むにも、心配でした。私たちは、大変美しく、とっても快適な地域を離れたんです。でも、隣近所の人が招いてくれた際に、そのお宅の庭で育てられたスイカを出されたんですね、私たちは、どうしていいのか分かりませんでした。放射能はそこら中に拡散し存在するんです、日本のどこへも戻るつもりはありません。それは、戻ることのできない片道の出発となったのです。

インタビュー = ベアトリス・ボサー

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次に日本語の記事ね。

産経ニュース 2012年1月5日

「こっちの方が住みやすいみたい」福島移住の長谷川さん一家

震災後、福島県昭和村に移住した長谷川さん一家(玉嵜栄次撮影)

白い山肌を背に、おかっぱ頭の赤ん坊は父親の腕の中で元気な笑い声を上げた。東電福島第1原発から西へ120キロの福島県昭和村。東日本大震災後に千葉県市川市から移住してきた長谷川洋(ひろし)さん(39)の長女、美(み)桜(お)ちゃん(1)にとって、大雪に覆われた奥会津のこの山村が「故郷」となる。

「この子が生まれなかったら、ここに来なかったかもしれない」

震災前まで東京都内で家具職人をしていた。「農業をしたい」と母の故郷、昭和村を選んだ。自身も会津若松市の出身だが、移住を強く望んだのは、むしろ東京で生まれ育った妻の規(き)予(よ)美(み)さん(41)だった。

規予美さんは結婚8年目にして授かった美桜ちゃんを「大自然の中で伸び伸び育てたい」と望み、平成22年9月、出産を前に移住を決めた。ところが、震災で状況は一変した。

長谷川さんは、新聞やインターネットで放射線量を繰り返し確かめた。「この子が将来、福島で育った女だからという理由で、結婚に支障が出たりはしないだろうか…」。夫婦で1カ月間、話し合った。

「30年も先のことがどうなるかなんて、考えたって分からない。このままでは故郷の福島が駄目になる」

長谷川さんは「やっぱり行こう」と告げた。規予美さんはうなずいた。「向こうの雪が解けたら、引っ越しだね」

農村への移住を支援するNPO法人「ふるさと回帰支援センター」によると、福島県は震災前まで3年連続で首都圏から移住したい都道府県のトップだった。例年30家族ほどあった移住者は、震災にもかかわらず昨年も15組前後に上る。

相談員の星久美子さん(28)は「福島はもともと受け入れに力を入れてきたのに加え、震災前に移住を決め、考えを変えなかった家族が多かった。住民となって役立ちたいという家族もいた」とし、続けた。

「人口流出が続くこの時期にあえて福島に移住する人は、将来を真剣に考え抜いた人が多い。彼らは地元の人たちを勇気づける存在にもなっている」

東京都江戸川区の小村愛(よし)枝(え)さん(27)は震災4日後、婚約者の小林正典さん(41)と就農のため、第1原発の40キロ西にある二本松市の山間部に移り住んだ。

運送会社で働いていた2人は深夜帰宅が続く日々だった。郊外に借りた菜園で野菜作りをしていたが、次第に農業への思いが募り移住を思い立った。2人とも福島県に縁はない。北海道や山梨県なども考えたが、試しに訪れた二本松で、人々が親身に相談に乗ってくれたことが決め手になった。

震災直後の混乱の中、栃木県の黒磯までJRで行き、あとはヒッチハイクと自転車で向かった。一泊した郡山市で愛枝さんは実家の母親に電話を入れた。

「なにもこんな時期に行かなくても。ばか娘…」

心配する母の声に思わず涙がこぼれた。傍らにいた正典さんは「一緒に頑張ろうな」と励ました。2人は4月に入籍し家族となる。

長谷川さん一家、そして愛枝さんと正典さんは現在、それぞれの春に向けて農作業を学んでいる。愛枝さんたちは長靴履きにジャージー姿で、白菜や大根の栽培を手伝っていた。

正典さんは「ここで生きる以上、放射能は切り離せない問題だ。二本松はこの9カ月が底だった。後は上向いていくだけと前向きに考えたい」と話す。

昭和村の長谷川さん一家も、昨年4月に移住してから初めての冬を迎えた。農作業ができないため、長谷川さんは村役場の仕事として除雪車に乗っている。

規予美さんは、自宅から1・5キロほど離れた診療所に検診のため美桜ちゃんをおぶって歩いたことがあった。同年代の女性が、診察が終わるのを待って自宅まで車で送ってくれた。

規予美さんは「人の温かさというのかな。こういう気持ちを忘れていたような気がする」と話す。

震災直後、首都圏の人々は生活必需品を奪い合い、スーパーやコンビニ店の棚から水のペットボトルが消えた。規予美さんは粉ミルク用の水が手に入らず、市販の氷を溶かして使った。

「村に来てみると、逆に困っている人に水を分けていた。私にはこっちの方が住みやすいみたい」

雪解けの4月、一家は村の特産であるカスミソウの植え付けに取りかかる。7月になれば新しい故郷は小さな白い花々で覆われる。

(玉嵜栄次)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120105/dst12010521460010-n1.htm

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以下、ラ・レピュブリック紙の記事まんま置いておくううう。

La Nouvelle Republique – 08/01/2012

” Le Japon pour moi c’est fini “

Haruko Sakaguchi, professeur de français près de Fukushima, témoignait hier sur son vécu du nucléaire à Saint-Gervais, invitée par Europe écologie les Verts.

Haruko Sakaguchi enseignait le français au Japon et espère retrouver un travail. – (Photo NR, Sébastien Gaudard)

Vous êtes partie dès la catastrophe de Fukushima le 11 mars dernier, pourquoi ?

« J’étais au courant des risques nucléaires, puisque je militais timidement contre. En octobre 2010, nous avions manifesté devant la mairie de Fukushima contre l’arrivée du mox, mais nous n’étions que six à nous relayer ! Notre maison était à Miharu, à 45 km de Fukushima ; nous sommes immédiatement partis dans la région de Tokyo mais nous étions conscients que les dangers des radiations allaient jusque-là. Mon mari étant français, nous avons fait le choix très douloureux de partir, pour notre petite fille de 4 ans. Ma fille a une grande nostalgie du Japon, nous avons laissé nos amis, ma famille. Et surtout nous savons que nous ne pourrons plus jamais y retourner, c’est ça le risque nucléaire. L’eau, tout ce qu’on mange est contaminé. Mais la plupart des Japonais ne se rendent pas compte du danger. »

Vous vivez depuis en France qui est aussi un grand pays nucléaire, cela ne vous effraie pas ?

« Ici il n’y a pas le risque sismique qui est réel au Japon. Mais les Français ont tout à fait raison de se mobiliser contre le nucléaire. C’est une menace générale, il y a déjà eu trois catastrophes majeures à travers le monde, et beaucoup d’autres moins importantes. Et pourtant la même obstination des gouvernants à dire que ce n’est pas dangereux. J’ai l’intime conviction qu’au Japon, on arrivera à en sortir. Nombre de réacteurs ne sont désormais plus en fonction et en avril, tous les réacteurs seront provisoirement arrêtés. En septembre dernier il y a eu 60.000 manifestants à Tokyo ce qui est énorme pour le Japon. Et je pense que la colère due à Fukushima va grandir quand les conséquences vont commencer à apparaître. Je serais heureuse que la France se désengage, et si ce n’est pas le cas, j’envisagerais peut-être avec ma famille d’aller vivre ailleurs. »

Êtes-vous retournée au Japon depuis ?

« Oui cet été. C’est terrible, on se pose des questions énormes avant de boire un verre d’eau. C’est une très belle région que nous avons quittée, où nous faisions partie d’une communauté très sympathique. Mais quand des voisins nous ont accueillis avec la pastèque qu’ils venaient de cueillir dans leur jardin, on ne savait plus quoi faire. Les radiations sont partout et je ne retournerais vivre nulle part au Japon. C’était un départ sans retour possible. »

Propos recueillis par Béatrice Bossard

http://www.lanouvellerepublique.fr/Loir-et-Cher/Actualite/Environnement/n/Contenus/Articles/2012/01/08/Le-Japon-pour-moi-c-est-fini

(引用終わり)

コメント

今後も放射能はなくならないであろうが、考え方が変わってくるだろう。
現在は上記のように二極化されているが、今後は子供が成長し、結婚し、また子供を授かり、そして世代を作っていくことになる。

多分、影響により多様な状態の人が生まれるはずである。
今後福島は、生まれてきた県民を用い「どんな人間だって生きてゆくことは平等だ」とする論が張られ、「被曝者差別」をあおる自治体になるだろう。
そういった一方的な方向性を持つ強い言葉を用い、困惑に乗じて補助金利権を獲得するのは、被害者自身ではなく、その受け口である自治体と入札業者のためなのだという事実は、過去から見られる(ダムなどの土木、バリアフリー、住宅などの建設補助金利権)。
要するに福島県は、国より多額の補助金を獲得できる大義名分を得、県民の為と称しながら放射能独占事業を行うことになる。

お金がかかることは当たり前だが、補助金目当てに弱者を利用するのが腹立たしい。

実際、それら補助金が実際の県民に直接的に満遍なく効果を表すものかどうかは、やはり過去の事例から首をかしげることになる(放射能は毒物であり、反対があったにもかかわらず強引に誘致した自治体責任も含めて、原発爆発でいやおう無く撒かれたという視点から、医療費全額免除、土地建物等固定資産税全額免除、インフラ公共税免除、農林水産物買取補助など行われるのだろうか?)

一方別な問題もある。
それは放射能影響データだ。
得られたデータは、日本に公開されるのか?
県民の実態は、日本・世界の論文に公表されるのか?
思惑にまみれた論文が、検閲ごとく黒インクで塗りつぶされたまま、日本国民に公表されるのが予想できるだろう。

福島は責任として今後県民を、県を挙げて医療費、税金、生活費、インフラ、就職などを面倒見るのだろうか?

そういったことも含めて、移住を検討するべきだろう。
皮肉的言い方を敢えてすれば、増税せず現状の税収入の中でのやりくりで、県民全員を全部県・国が面倒見てくれて、お金でさまざまな問題を解決してくれるならいいなぁと思えば、移住もいいと思う。
国土の維持という面からもそれをするべきだろうし、それこそ放射線汚染物資を全国に撒くより、よほど国民で痛みを分かち合うことではなかろうか。

(かつて、チェルノブイリのルクビダートルは、医療費永久無料・高額年金・英雄扱いであったが、その後分国化したため、それぞれの国で財政負担が膨大になり破綻しかけている。また放射能の影響は代々と続いている)

今のところ、放射能による病気の危険は確率的なのが、科学的事実なのですから。
と思う今日この頃である。

2012年1月7日土曜日

原発がどんなものか知ってほしい(全)1/2

原発がどんなものか知ってほしい(全)の引用です。
原文はこちらです。リンク切れになっても困りますので、貼っておきます。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#about

引用初め

私は原発反対運動家ではありません。
二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。

私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二○代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。

「安全」は机上の話
去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。

この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。

世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。

なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。

素人が造る原発
原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。

原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。

ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。

例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。

現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。

皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。

名ばかりの検査・検査官
原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。

そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。

いいかげんな原発の耐震設計
阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。

定期点検工事も素人が
原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。

原発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。

また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。

そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。

現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。

そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。

放射能垂れ流しの海
冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。

防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。

数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。

内部被爆が一番怖い
原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。

体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。

原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。

私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。




引用は2回目に続く・・・

2012年1月1日日曜日

柏崎原発から何を学んだのか?

柏崎刈羽のこの揺れで全原発の設計値超す 電力各社 それでも 「安全」
2007年9月21日(金)「しんぶん赤旗」より引用
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-09-21/2007092103_01_0.html

新潟県中越沖地震の際に柏崎刈羽原発で観測された地震動(観測値)に襲われた場合を想定して全国の原発の安全性を検討していた電力会社は二十日、検討結果を発表しました。すべての原発で、観測値が設計時に想定された地震動を超えていたにもかかわらず、各電力会社は、「施設の余裕度」を理由に、「安全機能は維持される」としています。
各電力会社は、柏崎刈羽原発1号機と4号機の原子炉建屋基礎上で観測されたデータを観測値として使用。各原発の設計時に想定した地震動による周期ごとの揺れを比較しました。
その結果、すべての原発で観測値が設計値を上回る結果となりました。(図は東京電力福島第二原発4号機の例)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-09-21/2007092103_01_0.jpg
しかし、電力会社は、観測値が設計値を上回った周期で安全性が問題になる施設にたいして、二―十倍までは上回っても大丈夫とする「許容値」をもちだして、「耐震設計上重要な施設の安全機能は維持される」と結論づけています。

耐震設計に根本的欠陥
安全宣伝より改善策を
柏崎刈羽原発で観測された地震動を全国の原発に適用した場合、設計時に想定した揺れの強さを上回ることは予想されたことでした。

柏崎刈羽原発の設計で想定した最大地震動は四五〇ガル(ガルは加速度を表す単位)。これに対し、現在日本にある商業用原発五十七基(うち二基は建設中)のうち、80%にあたる四十六基は四五〇ガル以下で設計されているからです。(表)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-09-21/2007092103_01_0b.jpg


新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が大きな被害を出し、国民の間からはほかの原発に対する不安が高まっていました。

こうしたなかで各電力会社は、柏崎刈羽原発で観測された地震動でも各原発の安全性が保たれることを「証明する」必要に迫られていました。

今回の「証明」に持ち出されたのは、地震動が想定されている強さを上回っても、二―十倍までは大丈夫だとする「許容値」です。

これまで、国も電力会社も、原発は考えられる最大の地震動を考慮して設計していると説明してきました。実際の地震動が設計値を超えることはもともと想定していませんでした。

柏崎刈羽原発を襲った地震動が設計値を大幅に超えたことは、これまでの原発の耐震設計が現実に合わず、根本的に見直す必要があることを示しています。

柏崎刈羽原発は、地震によって放射性物質を環境に放出するという初めての「原発震災」を引き起こしました。原子炉内部の被災状況などはこれから調査される段階ですが、被害個所やトラブル件数は現時点で約二千八百件に及んでいます。

柏崎刈羽原発よりも小さな地震動を想定して設計された原発が、柏崎刈羽原発で観測された地震動に襲われれば、被害がより大きくなることは明らかです。

今回のように「許容値」を持ち出して安全を宣伝するのではなく、これまでの地震対策の不十分さを徹底的に明らかにして、それを早急に改めていくことこそ、国民に対する責任です。(前田利夫)

引用終わり


★ 原発と地震(2)より引用
http://trust.watsystems.net/matuo/matuo28.html
●1月17日に起きた阪神・淡路大震災。「これは本当に今、この日本で起こっていることなのか…」と誰もが思ったに違いない。そして同時に「もし原発をこんな大地震が襲ったらどうなるのだろう」という不安を多くの人が持ったことだろう。ましてや目の前に原発が立っている地元の人々にとっては、より具体的な恐怖の対象となったはずである。…鉄道はもちろん、道路は寸断され逃げ道は断たれる。救援隊も来られない。周囲には目に見えない放射能が漂う。ライフラインは破壊され、除染もできない。ボランティアなど望むべくもない。時間が経っても汚染のため復興はままならず、土地を放棄しなくてはならなくなるだろう。果たして安全な所に避難できるのだろうか…

●「豆腐の上の原発」(東京電力柏崎刈羽原発)、「ナマズの上の原発」(中部電力浜岡原発)という言葉に象徴される、地震大国日本の原発群。阪神大震災の後でも国や電力会社は「大丈夫」と強弁している。

---原子力発電所を造るには、活動可能性のある活断層はないか、過去に大地震は起きたか、近辺で直下型地震が発生する可能性があるかなどを調べて設計します。原発の耐震基準は平均三百数十ガルですが、それは岩盤上でのこと。地震の揺れは地表では3倍になりますから、1000ガルに相当する訳です。400ガル以上が震度7ですから(阪神大震災級でも)大丈夫と言えます。(通産省資源エネルギー庁公益事業部原子力発電安全企画審査課長藤富氏のコメント95年2月22日中日新聞)
藤富氏は知らないのだろうか。原発の立地は土地買収が先で活断層などの調査は後回しであり、何も活断層がない所を選んでいる訳ではないことを。また、地表面の揺れが岩盤の3倍という根拠はあるのだろうか。岩盤が崩壊することはないのだろうか。実験もしていないのに震度7でも大丈夫とどうして言えるのだろうか。国も電力会社も「大丈夫」というお題目を唱えるだけで、こういった疑問には全く答えようとしない。
今回の大震災の被害を考える時、51基もの原発と10を越える核関連施設をかかえる日本に生きているということに恐怖心を抱くのは私だけではないはずだ。http://trust.watsystems.net/matuo/images/14.jpg

●では改めて、新聞等に公表された資料をもとに原発の耐震性について検証してみたい。
【図1】は全国の各原発の耐震設計値(水平動)と今回の阪神大震災での揺れを比較したものである。阪神大震災の揺れは地表面で最大818ガル(水平)であったが、国や電力会社が主張するように岩盤上の揺れはその1/2から1/3として、400~300ガルという値を用いた。まず図中AS、Aで示した原発の耐震分類について説明しておこう。右上【表1】を見ていただきたい。原発施設はその全てが高度の耐震設計で建設されている訳ではない。放射能の放出を防ぐという観点から、重要度ごとにAS、A、B、Cの4クラスに分けられ、それぞれ耐震基準が異なっている。このような分類を設けたのは本来ならば全部ASクラスにすべきだが、そうすると建設コストが膨大なものになってしまうからという経済的理由による。つまり安全切り捨て=利益優先の思想である。原発という超危険な施設内でこのように耐震設計のバラツキがあるということは非常に重大な問題を孕んでいるが、この点は後述する。では【図1】に戻ろう。

阪神大震災はほとんど全ての原発の耐震基準を越える
図を見てわかるようにAS、A クラスとも阪神大震災の揺れ400 ガルを上回ったのは原電東海、中部浜岡3・4のわずか3基に過ぎない。しかし、例えば敦賀2のASクラスの設計値は500ガルを越えており(532ガル)、安心できるように思えるが、実はそうではない。この532ガルという値は瞬間的な一回限りの最高値であって、実質的には375ガル程度である(このことは他の原発にも言えるだろう)。阪神大震災の揺れは約20秒間続いており、従って瞬間的な揺れを云々しても何の保証にもならない。
電力会社は「耐震性を独自に調査して安全を確認した」とコメント、但し調査データについては「企業秘密」としている。また資源エネルギー庁と科学技術庁は「各電力会社が阪神大震災級の地震を想定して、安全を確認しているようだ」(傍点筆者)と話している(同毎日新聞)。ここまで言い切るのなら、根拠となるデータを公開し、国民が納得できるようにきちんと説明すべきあろう。

原子炉容器(AS)が無事でも、配管が破れ緊急炉心冷却装置(A)が作動しなければ大惨事百歩譲って原子炉容器や格納容器は岩盤上に建設され、さらにASクラスの耐震設計だから「大丈夫」としよう。ところがこのことは裏を返せば、Aクラス以下の機器は壊れてしまう可能性があるということなのだ。地表面に建てられ、1000ガルの揺れに襲われるタービンと岩盤上に据え付けられた原子炉を結ぶ配管が無事でいられるとはとても考えられない。配管が破断し、緊急炉心冷却装置も壊れてしまえば冷却水喪失、そして炉心溶融。外部から電気を送る送電系統が破壊されれば外部電源喪失、炉心冷却不能、そして同じく炉心溶融。タービンが破壊されれば、その巨大な金属性の羽根がミサイルとなって格納容器や配管などを破壊することもあり得るのだ(タービンミサイルという)。いくら原子炉の中心部を強化してところで、周辺に亀裂が入れば結局共倒れになってしまうのである。
国も電力会社もこの共倒れ事故はあり得ないとして、全く評価していない(その膨大な数の事故の可能性と深刻さから、原発の推進ができなくなることを恐れているのである)。

●このように原発の耐震性に重大な疑義が生じている現在、原発を停止させる以外に根本的な解決方法はない。巨大地震が起こってからでは遅いのである。

引用終わり

東電の原子力関係者へ
あんたら、結局、今までなにやってたの?
よく飯食えるね。
どうしてくれるの?この日本を。
お前ら、本当に何してたの?
これからどうするの?
今の仕事続けるの?
何で?
本当に今後どうするの?
もうすぐ1年経つけど、まだ飯食ってるよね?
いいの?そんなんで。良いのかって聞いてるの!