哲学に考古学的手法を取り入れたものが系譜学です。 この観点から私たちの日常を見ると、ある思考によって成り立っているのがよくわかります。つまり、自然のものを誰かによって作られた解釈で理解しているということです。個人的にこう言った物を「思考の檻」と呼んでいます。 この「思考の檻」は言葉、行動、仕草、思考プロセスなど、個人(または社会・集団)の行動すべてにわたって強烈な影響を与えています。時には人の思考を操作することも可能です。 この「思考の檻」を見出すことで、檻に入らずに生きていけたらいいなあと思います。 しかし、何もできてません・・・。完全に、日々の雑感とか自然とか備忘録的な要素であふれちゃってます。
2007年10月22日月曜日
生活保護制度はもともと一般日本人のための制度ではない
もともと、一般人が使うのを想定していない制度で、どうしようもない人々を黙らせるためのもの。
こんなに不景気になるなんて思っても見ないものだから、制度の不備を直す前に、立場や背後関係のない普通の弱い人から制度の権利を奪い取り、制度がはたんせず、正常であるかのごとく数字上見せかけることをしていた。
人より制度が大事であると共に、ある特定の者たちをもともと対象にしていたことがわかる。
制度は利用すべきだが、普通の人には利用できないし、これからは多分もっと厳しくなり特定者のみの制度へと変貌するであろう。
もともとが違うのである。
各福祉制度も、もともとが違うのである。
特定の人たちへの恩恵であろう。
出なければつじつまが合わんよ。制度を利用している人々が罰せられるなんてな。
人であることと日本人であることは全く違うのだ。
人はこの国では生きてはいけない。
生きるためには申請書を書かなくてはならない。
生きているのも許可制の国。